12/30/2023

An 18-year-old male Japanese soldier was exposed to the Hiroshima atomic bomb near the outside of his barracks, approximately 900 meters from the hypocenter. He sustained third-degree localized burns on the posterior surfaces of his lower legs on both sides. The burns were complicated by typical flesh burns of exposed skin only.

 広島原子爆弾の爆心地から約900mの地点の兵舎外の付近で、18歳の男性の日本軍兵士が被爆した。両側の下腿後面には第3度の限局性熱傷を受傷した。露出した皮膚だけの典型的な肉やけどを合併した。18歳男性の被爆者は広島原子爆弾の爆心地から約900mの兵舎の野外にいた。ケロイドの形成を伴う第2度熱傷は部分的には治癒した。18歳男性の被爆者は、広島第一陸軍病院宇品分院で治療を受けた。広島原子爆弾が1945年8月6日に投下して炸裂した数日後にケロイドを伴う第3度熱傷を受傷した。

 この写真は広島原子爆弾が投下して炸裂した79日後の10月24日にアメリカ軍によってカラーで撮影された。終戦直後にアメリカ軍が原子爆弾の写真資料を日本からアメリカ本国に接収した。その後に28年間もアメリカ軍病理学研究所(AFIP: The Armed Forces Institute of Pathology)に保管された。約2万点もの資料が1973年5月に日本に返還された。返還された資料は、三つに大別された病理標本、解剖記録、写真等であった。

  原子爆弾の生体への影響は、原子爆弾の電離放射線以外の要因、他の傷害、不潔、悪臭、精神的要因などが、海水障害や嘔吐に関与した。放射線障害の症状は、被爆者内部での発生率の高さによって証明された。爆心地から約1km以内にいた被爆者の嘔吐の発生率は広島で35%、長崎で27%であった。5kmより遠かった被爆者の発生率はそれぞれ1%と2%であった。同様に、食欲不振は広島では約1km以内の被爆者の48%、長崎では37%にみられた。約5km以上ではそれぞれ7%と5%であった。

 爆心地からの距離と遮蔽に関連した吐き気、嘔吐、食欲不振の発生率は、距離とともに着実に減少した。屋外で遮蔽されない内側の区域にいた被爆者の罹患率は、重い建物内にいた被爆者の罹患率とかなり近似した。前者の多くは構造物の陰にいた可能性があり、重い線量を受けた人は致命的な損傷を受けた。防空壕やトンネル内の被爆者には嘔吐が少ない。約2km以内の屋外または日本式建物、約1km以内の重建築物にいた人の発症率は、それ以上離れた場所や防空壕やトンネル内にいた被爆者よりもはるかに高かった。その症状の発生率は、女性よりも男性で高く、特に被爆の多い集団で高かった。火傷の有無は、被爆者の吐き気と嘔吐に有意な影響を及ぼさなかった。