ウクライナ東部のドネツク州のコスチャーンチニフカ(Kostyantynivka)で、2023年1月28日にロシア軍のミサイル攻撃により死亡した34歳のミハイロ・コヴァレンコ(Mykhaio Kovalenko)の死体を見て、母親の66歳のニーナ・コヴァレンコ(Nina Kovalenko)が慟哭した。コスチャーンチニフカは、激戦地のバフムトの南西約24kmに位置した。住宅街の中庭、残骸と瓦礫に囲まれた地面に上半身をシーツに覆われた息子の死体が横たわっていた。母親がひざまずき、泣きながら息子の死体の脇腹を撫でた。もう一人の死体はシーツに覆われ、男性が衝撃の瞬間に押していたと思われる手押し車の近くに横たわっていた。
NATO諸国が重戦車の提供をウクライナに約束したニュースの中で、ロシア軍は2023年1月下旬に、ミサイル、爆発する無人機、砲弾でウクライナの各地を砲撃した。その攻撃は1月28日にも続き、ロシア軍のミサイルはウクライナ東部ドネツク州のコスチャーンチニフカ市を攻撃した。ドネツク州はロシア軍とウクライナ軍の支配下にほぼ二分されて、ロシア軍がバフムトを占領するために数カ月間に攻勢して、戦争の震源地となった。
ロシア軍のミサイルはコスチャーンチニフカの住宅街に落下して、3人の市民が死亡して、14人が負傷した。4棟の高層アパート、ホテル、車庫が損壊した。コスチャーンチニフカはロシア・ウクライナ戦争の前線から比較的には少し遠方の街であったが、それでもロシア軍の攻撃は絶えなかった。コスチャーンチニフカの街に残っている住民は皆、命の危険にさらされた。ロシア軍はウクライナ軍と戦うだけでなく、民間人も標的にした。
1月28日未明のテレグラムへの投稿では、ドネツク州に対するロシア軍の攻撃により、24時間で4人の市民が死亡して、7人が負傷したと公表した。1月27日夜らは、ロシア軍のロケット弾が、ドネスク州のチャシヴ・ヤールの住宅地を直撃して、2人が死亡し、5人が負傷したと発表した。3階建ての学校の建物が炎上して燃えていた。ロシア軍は1月28日から1月29日朝にかけて、ウクライナ領内で10回のミサイル攻撃、26回の空爆、81回の砲撃を行ったとウクライナ軍は公表した。ロシア軍が一部占領しているヘルソン州で、砲撃により市民2人が死亡した。