9/06/2023

On August 20, 1925, 48-year-old Liao Zhongkai and 32-year-old Chen Qulin were on their way to a meeting at the KMT Central Party Headquarters when Liao Zhongkai was shot in the face and killed as soon as he got out of his car. He was assassinated in front of the heavily guarded KMT Central Party headquarters.

1925年8月20日に、中国の民主主義の革命家である廖仲凱が、広州で国民党右派に暗殺された。1921年4月に孫文は広東革命政府を樹立し、廖仲凱は財政副大臣に任命した。1924年に国民党が改造された後に、孫文によって中央実行委員会の常務委員に選出された。労働者部と農民部の部長、黄埔仕官学校の国民党代表、広東省の省主席、財政長官、軍需総監などを歴任していた。蒋介石は廖仲凱の暗殺に乗じて、広東国民政府の軍事的、政治的権力を掌握した。中央党本部の正門を警備していた警官もなく、暗殺犯は跡形もなく逃げ去った。暗殺された廖仲凱が死亡後に、病院に搬送されて入院した時点である。1925年8月20日、48歳の廖仲凱と32歳の陳秋林は、中央党本部に会議に行く途中に、廖仲凱は車から降りたとたんに顔面を撃たれて死亡した。厳重な警備が敷かれた国民党中央党本部の前で暗殺された。

 廖仲凱の暗殺事件の後に、国民党中央執行委員会と国民党政府軍事委員会は、暗殺事件を調査する特別委員会を組織することを決定した。特別委員会に招聘された蒋介石は、王景偉、徐重志らと、政治と軍事から警察の権限を掌握した。蒋介石は広州駐屯地の司令官に任命された。調査の結果、胡漢民と徐崇芝らが、この廖仲凱夫妻の暗殺事件に関与していると容疑されて、広東省を追われた。

 暗殺(assassination)は,殺人とは区別され適用の範囲が限定される。政治的要人を,政治的目的のために,非合法的手段で殺害することが暗殺とされる。暗殺は,主体によって,権力者側が広義の政敵を殺害する場合と,反権力・反体制派が,権力者を殺害する場合とに大別される。政敵であった国民党左派の理論家である廖仲凱は、1925年8月20日に国民党内右派に銃殺されて、権力側の蒋介石が後継者とされた。それ以前にも、国民党の要人である陳其美が、1916年5月18日にフランス租界の山田純三郎宅で、袁世凱政権の刺客により暗殺されて、権力側の蒋介石が後継者とされた。