アメリカ南北戦争の終盤の1865年4月3日に、北軍に殺害された南軍兵士の死体が、ヴァージニア州ピーターズバーグのマホーン砦の泥だらけの塹壕に横たわった。北軍が市内周囲のロバート・E・リーの防衛線を突破した翌日の4月3日に、トーマス・C・ロシュ(Thomas C. Roche)によって撮影された。約292日間にわたるアメリカ南北戦争終結間近のリッチモンド=ピーターズバーグ作戦の終盤であった。第3次ピーターズバーグの戦いの一環であった北軍の攻撃で、北軍の戦線内にいた南軍兵士が殺害され死亡した。規模がはるかに大きい北軍が、手薄になった南軍に襲いかかった。この戦いで、北軍は約3,936人と南軍は約5,000人以上の兵士が犠牲となった。1865年4月3日に北軍兵士が、リッチモンドとピーターズバーグを占領し、他の北軍兵士は南軍を包囲した。ロバート・E・リー南軍将軍は、アポマトックス・コートハウスの戦いの後に、1865年4月9日に降伏を余儀なくされた。
1861年から1865年にかけて戦われたアメリカ南北戦争は、アメリカ史上最も血なまぐさい戦争であった。最も死者が出たのは、1863年7月1日から7月3日のペニルバニアのゲティスバーグの戦いだった。この戦いだけで約52,000人が死亡、負傷、行方不明となった。約4年にわたる南北戦争の悲惨な戦場では、死、飢餓、戦場の破壊が展開された。南軍は、病気、飢餓、被曝、処刑を利用して、何千人もの元奴隷を殺害した。1865年4月9日に、南軍のロバート・E・リー将軍は、ヴァージニアで降伏し、血みどろの戦争は終結した。
アメリカ南北戦争は、1861年から1865年にかけてわずか4年の短期間に約62万人もの命を奪ったアメリカ史上最も血なまぐさい戦争である。死者数は、当時のアメリカ人口の約2%を占めた。アメリカ合衆国が戦った他のすべての戦争を合わせたのとほぼ同数の死者数であった。南北戦争中の死者数は、第一次世界大戦(約116,516人)と第二次世界大戦(約405,339人)の死者数の合計よりも多かった。南北戦争中の静かな死因は病気であった。戦場や負傷で戦死傷した兵士の約2倍以上である。全体として、およそ4人に1人が終戦まで生きられなかった。