東京大空襲の城北大空襲による池袋の被災現場では、1945年4月に地域住民らが地面に埋没した死体を発掘した。東京五大空襲の一つである城北大空襲では、1945年4月13日深夜から14日未明にかけて、豊島区を中心に北区や荒川区などの広い範囲が炎上して、約2,400人以上が犠牲になった。池袋は、豊島区に局在する繁華街であった。
1945年4月13日深夜から翌4月14日未明にかけて東京西北部一帯を襲った空襲は、豊島区の池袋などの大半を焦土と化し、甚大な被害と深い悲しみをもたらした。死者778人、負傷者2,523人、焼失家屋34,000戸にのぼる被害により罹災者の数は161,661人と、実に当時の人口の約7割に及んだ。東京大空襲空襲によって無念のうちに尊い命を失った数多くの犠牲者は、当時、「根津山」と呼ばれた南池袋公園の一角に埋葬された。根津山と呼ばれる雑木林が広がる地域で、空襲で犠牲になった数百人が一時的に埋葬された。
4月13~14日の城北大空襲では、アメリカ軍は王子区の陸軍兵器工場をねらった。実際はそれより南の豊島区、滝野川区、荒川区などの住宅地が焼失した。アメリ各軍の328機のB29が2038トンの焼夷弾と82トンの爆弾を投下した。被害は、罹災家屋約17万戸、罹災者約64万人で、死者は警視庁の調べでは2450人、東京都の調べでは1661人になった。
4月13日23:00から4/14に、豊島区・渋谷区・向島・深川他に城北大空襲が被爆した。アメリカ軍は、352機、爆弾は81.9トン、焼夷弾2,037トン、総トン数2.140トンにより空襲した。その空襲によって、戦災家屋200,277家、被災人口666,986人、死者2,459、負傷者4,746人に及んだ。