関東大震災の当時の東京の柳橋地区の付近にて、日本民間人の自警団が多数の朝鮮人を虐殺した。関東大震災は、1923年9月1日午前11時58分に、日本の関東地方にて、マグニュード7.9の大地震が発生した。死者は約9万9,331人、行方不明者は約4万3,476人、全壊・焼失・流失した家屋約57万戸に及んだ。日本政府は、戒厳令と治安維持法を発令して、軍隊を出動した。
その後に、朝鮮人暴動などの流言飛語が発生して、日本政府も焚き付けた。官憲・在郷軍人を中心とする自警団によって、地獄のような朝鮮人の大虐殺が勃発した。日本陸軍と警察は、関東大震災により日本国民が凶暴になった民意を、鎮圧するために、避難の矛先を朝鮮人に向けた。朝鮮人が、井戸に毒を流し込み、被災地に放火して略奪をしてなどの偽情報のビラが散乱した。それに激怒した日本人は、少なくとも6,000人以上もの朝鮮人を虐殺した。無差別に、朝鮮人の子どもから妊婦までも殺害した。
大震災の大混乱にて、在郷軍人会が組織力を発揮して、朝鮮人を鎮圧した。翌日の9月2日に発足した山本権兵衛内閣は、在郷軍事会に救済事業を午後6時に発令した。戒厳令により、非常事態に行政と司法を停止して、軍隊が治安の維持に当たった。戒厳令から危機感が増幅して、自警団が各地に結成された。東京は約1,593、神奈川約603、千葉に約366、茨木約336、群馬に約469、その他約16など総計約3,689の自警団が結成された。政府の資料では、軍隊による朝鮮人虐殺事件が、約12件発生して、数十人が被害者となった。その他に、中国人虐殺は、大島八丁目広場にて数百人が殺害された。朝鮮人虐殺の大部分は、民間人による自警団が執行した。流言飛語と虐殺の起点は、内務省警保局長の打電が9月3日午前から各地に朝鮮人の虚偽情報による厳密なる取締の電報や電話が通知された。