2004年2月5日にハイチ解放再建革命戦線が北部の町ゴナイーヴで反乱を蜂起して、アリスティード政権と武力衝突が発生した。ハイチでは、アリスティード派民兵シメールによる民衆に見せしめの報復のために、2004年2月28日に反アリスティード派と思われる一味が殺害した血まみれの死体が、首都ポート・プランスの道端に捨てられて放置された。
2004年に、カリブ海にて人口約800万人のハイチは、2月29日にアリスティード大統領が2月29日に2度め目の脱国をした。1990年半代に、アリスティードによって解体され追放された旧ハイチ軍兵士が2004年2月に舞い戻った。脱国後に、首都ポート・プランスでは銃声と煙が立ち上り、破壊・略奪・放火が拡大した。見せしめの報復により、両手を縛られた死体が転がって散乱した。さらに眼をくり抜き、顔の肉までそぎ取った死体を見せしめられた。総合病院の死体安置所では、腐敗して判別できない死体が山積みとなった。
ハイチは、1492年にコロンブスによりイスパニョーラ島が発見された。1697年にフランスの植民地となった。1795年にフランス・スペイン戦争で、全島がフランス領となった。1804年に奴隷が反乱を起こしてナポレオン軍を打倒して、世界初の黒人国家として独立した。1915年から1934年は、アメリカが軍事占領した。1957年から1986年まで、デュバリエ父子による独裁国家となった。独立国家となった以後に、約33回以上ものクーデターによる政権転覆が頻発して、ハイチ市民は政争の犠牲に巻き込まれた。
1990年に初めての民主的選挙により、アリスティードが大統領に選出された。1992年にはクーデターで国外追放されて、1994年にクリントン政権によりアメリカより生還した。ハイチの旧軍事政権を排除して、経済が崩壊して不安定となり復興が頓挫した。ギャングのようなアリスティード派の民兵部隊シメールにより、反アリスティード派を弾圧して、暴力や腐敗も拡大した。2000年に、不正選挙でアリスティード派政党のラバラスが圧勝した。反アリスティード運動も高まって、2004年2月にドミニカからハイチに侵略した旧武装勢力が、首都ポート・プランスを侵攻した。2006年2月にハイチでは、旧軍部の暫定政権が選挙で負けて、アリスティード派のルネ・プレヴァルが大統領に就任して。アリスティード自身は亡命中である。