ベトナム戦争が南ベトナムの首都サイゴンの陥落により、1975年4月30日に終結した。陥落を知った56歳の南ベトナムの警察官は、ベトナム戦争に悲観して絶望してサイゴンの議会の国会議事堂の下院前で自殺した。自殺した警察官の死体の周囲に、サイゴンの市民らが取り囲んで呆然と見下ろした。1975年4月30日の正午、ラジオが南ベトナム大統領が降伏を放送される直前に、一発の銃弾が爆発し、ロング警部補は自殺した。
ベトナム海兵隊の記念碑の手前で拳銃により自殺したロング警部補の死体が横たわり、彼の頭部から血が噴出して地面に染み込んだ。ロングは警部補の勲章を身に着けて、青い制服を着て、胸ポケットにロングの名前が刺繍された。サイゴンの人々は自殺したロング警部補を偲んで静かに立ち並んだ。その周辺から北ベトナム軍の革命歌と解放軍の歓声を聞いて、全員は黙っていた。ロングは1975年4月30日正午頃にサイゴン市内の公園に現れた。石のベンチに座って、思慮深く周囲を見渡して、彼の頭上に手を置き、突然に、彼は立ち上がり、記念碑の手前をゆっくり歩いた。ロングは銃口を頭部に押し付けて、コルトの引き金を引いて、銃殺により自殺した。サイゴンの城塞を守ったのは、見捨てられた国家警察官であった。ロングは脱走もせずに、北ベトナム軍に降伏もせず、南ベトナムと祖国を悲観して自殺を選択した。
サイゴンが陥落する直前に、南ベトナムの官僚や市民らがサイゴンから逃避した。サイゴンに混乱、不安、パニックが発生した。戒厳令が発令されて、アメリカ軍のヘリコプターは、南ベトナム人、アメリカ人、外国人を市内の各所とアメリカ大使館から避難させ始めた。サイゴンを保持できるとしてヘリコプターによる避難はぎりぎりまで延期された。 サイゴンが陥落する前日の1975年4月29日には、興奮して叫び合う南ベトナム人の集団が、絶望的な逃避の機会を奪い合った。サイゴン近郊の防衛戦を、北ベトナム人民軍(PAVN)の戦車が突破した。4月30日早朝には、最後のアメリカ軍のヘリコプターでアメリカ大使館から避難した。南ベトナム民間人が大使館の周辺に押し寄せて、敷地内になだれ込んだ。ベトナム戦争が終結する4月29日から30日までに、サイゴンのさまざまな場所から約7,000人以上がヘリコプターで避難した。
北ベトナム人民軍は1975年4月30日に、サイゴン市内に侵入して、瞬く間にすべての抵抗物を退けて、主要な建物や施設を占領した。ベトナム独立記念館の門を突き破り、ベトナム時間で午前11時30分に、大統領宮殿上に北ベトコン国旗が掲げられた。その2日前にフオンの後を引き継いだズオン・バン・ミン大統領は、北ベトナム人民軍のブイ・ヴァン・トゥン中佐に降伏した。ミンはその後に、ラジオサイゴンで降伏宣言が14時30分から放送された。