1946年7月15日午前6時半ころに、ビルマのラングーン中央刑務所にて、カラゴン(Kalagong)事件に対するBC戦犯の判決により、元日本軍将校の3人が銃殺刑による死刑を執行された。1945年7月7日に、ビルマ東南部モールメン地方のカラゴン村で、女性と子供を含む約637人もの村民が大量虐殺された。カラゴン村の人口は約900人から1千人程度で、全員に尋問を行うも、ゲリラ容疑者を絞ることもなく、女性や子供も含めて大量虐殺した。ビルマにおける最大の民間人の大量虐殺事件として、イギリス軍によりBC級戦犯の裁判にかけられた。カラゴン事件では、6人の憲兵隊員が被告となり、実際の大量虐殺を執行した3人に有罪判決が下って銃殺された。
大東亜戦争末期にて1945年7月7日に、日本軍第3大隊と憲兵隊がビルマ(現ミャンマー)のカラゴンの村民を大量虐殺した。日本軍と憲兵隊は、カラゴン村民は、イギリス軍の空挺部隊のゲリラとして掃討を命じられた。日本軍はカラゴン村を占拠して、村民を集めて、男性をモスクに、女性と子供を集会所に閉じ込めて、拷問と虐待を繰り返した。家屋を放火して、女性を拉致して、女性に強姦した。憲兵隊は、村人全員を虐殺するように命じられた。7月8日に村民を5人から10人のグループに分けられて、目隠して紐で結ばれた。近くの井戸に連行されて、銃剣で刺殺されて、井戸に死体が捨てられた。その死体は、約600〜1,000人と推定された。日本軍は一度はカラゴン村を離れたが、7月11日に再びカラゴン村に戻り、家屋に放火して約10人の女性を強制連行した。
日本が降伏した後に、1946年3月12日から4月10日まで、イギリス・ラングーン軍事裁判所で、日本軍8人と憲兵隊6人の計14人が、カラゴン村の男女・子供の虐殺と、村民を虐待と拷問し、9人女性の誘拐を、BC戦犯の戦争犯罪として裁判にかけた。日本軍第3大隊の関係者は、大隊長が絞首刑、実際の処刑にあたった3中隊の隊長3名が銃殺刑を執行された。カラゴン事件の大量虐殺は、軍事的必要や上官の命令への絶対服従は、正当化さないと裁定された。