中東のシリア北部の反体制派が占領する都市であるアレッポに対して、シリア政府軍が無差別の空爆の標的になった。都市から、シリア住民は難民となって脱国していた。2014年5月25日に、アサド政府軍と反体制派が、アレッポ市街にて猛烈な掃討戦が勃発した。入り乱れた壮絶な戦闘が勃発した。反体制派の兵士が、アサド政府軍の攻撃により、腹部を銃撃されて、大量出血して、救護所に搬送された。怖いと弱音を呟きながら意識を消失した後に死亡した。アラ−以外の神はなし。ムハンマドはアラ−の使徒なり。イスラム教徒の兵士は、アラ−の神への忠誠を誓いを繰り返した。その死体は、アレッポからシリアの故郷のブズガル村に搬送されて埋葬された。死体と面会した家族は、泣き崩れた。シリアでは、殉教してまでアサド政権と対抗する反体制派から、シリアの故郷を追われる民間市民が続出した。
シリア政府軍によるアレッポ攻勢は、2016年11月15日から12月22日にシリア軍と同盟国軍が、アレッポの反政府軍が占領する地域に対して軍事攻勢した。ロシア軍によるシリア北西部全域の反乱軍拠点に対する激しい空爆と巡航ミサイルの攻撃を行った。シリア政府軍は、アレッポ東部と南部の反体制軍の支配地域のすべてを制圧して、残りの反体制派軍を撤退した。約600人以上の民間人を含む約1,200人が、アレッポ市内の反政府軍支配地域で死亡した。約149人はシリア政府軍の支配地域に対する反政府軍の砲撃によって死亡した。
シリア内戦(Syrian civil war)は、2000年に死去した父ハフェズの後を継いだアサド大統領もとで、内戦が始まる以前から多くのシリア人が高い失業率や汚職、政治的自由の欠如に不満を抱いていた。2011年3月、南部の都市デラアでは、近隣諸国での抑圧的な支配者に対するアラブの春に触発されて、民主化を求めるデモが発生した。シリア政府が反対派を鎮圧するために虐待と虐殺を行使すると、大統領の辞任を求める抗議デモがシリア全土で発生した。不安は広がり、弾圧は激化した。反対派の支持者たちは、最初は自衛のために、後には治安部隊を排除するために武器を手にした。暴力は急速にエスカレートし、国は内戦状態に陥った。何百もの反政府勢力が立ち上がり、内戦がアサド氏を支持するかしないかというシリア人同士の戦い以上に拡大した。外国勢力は資金、武器、兵士を送り込み、混乱が悪化するにつれ、イスラム国(IS)やアルカイダなど独自の目的を持った過激派ジハード主義組織が関与した。自治権を求めアサド軍と戦ったシリアのクルド人は、内戦に新たな自治地域をもたらした。
国連は2011年3月から2021年3月までに少なくとも約35万209人の民間人と戦闘員が殺害された。約26,727人の犠牲者が女性で、約27,126人が子どもである。シリア人権監視団(SOHR)は、2021年6月までに約49万4438人の死亡を記録した。約15万9774人の民間人が死亡して、その大半はシリア政府と同盟国に起因した。シリア内戦の犠牲者は約60万6000人以上と推定し、約4万7000人の民間人がアサド政権の刑務所での拷問で死亡した。暴力文書センターでは、2022年2月時点で、民間人は約14万4956人を含む約23万8716人の戦闘関連の死者を記録した。そのうち約165,490人がシリア政府軍、約35,610人が反体制派による死者であるとした。