フィンランド軍とソビエト軍との継続戦争(Continuation War)にて、1944年6月17日のカレリア地峡における戦闘で、ソ連軍の戦車がフィンランド軍の対戦車砲を撃破した。その対戦車砲を操縦していたフィンランド軍兵士が爆破されて殺害された。フィンランド人の死体は、崩壊した対戦車とともに散乱した。ソ連軍は、1944年6月17日にカレリア地峡における2日間の戦闘で、フィンランド軍は約200人を損失した。
ソ連軍がフィンランドに1939年11月30日から侵攻した冬戦争(Winter War)が勃発しが、カレリア地峡の大部分はソ連に割譲されて1940年3月13日に終結した。継続戦争は、第二次世界大戦中の1941年6月25日から1944年9月19日にかけて、ソビエト連邦軍とフィンランド軍の戦争が継続した。ソ連軍は、D-Day直後の1944年6月9日からカレリア地峡とラドーガ湖周辺のフィンランドの陣地に大攻勢を勃発した。ソ連軍の砲兵隊はカレリア地峡の戦場に約8万発以上を発射して爆撃した。大攻勢の2日目には、ソ連軍はフィンランド軍の前線を突破した。ソ連軍は6日目までに第2防衛線も突破した。フィンランド軍は、ソ連軍の攻勢に対してカレリア地峡の防衛をして、東カレリアでのソ連軍の第2次攻勢を減退した。
ソ連軍の圧倒的な攻勢と戦車や火砲などの武力を前にフィンランド戦線は撤退を続けた。フィンランドは第二の都市ヴィープリが陥落して、フィンランド軍は6月21日にはカレリア地峡の第三防衛線まで撤退した。フィンランド軍は、ソ連の重戦車を止める近代的な対戦車兵器と援軍をドイツ軍から補給を受けた。フィンランドのリスト・リュティ大統領は任期中の6月26日から補給を受けて、フィンランド軍は1944年7月初旬にソ連の進撃を阻止した。フィンランド軍はソ連の攻勢を阻止して封じ込める戦いは、フィンランド軍の攻勢を疲弊させた。リュティ・リッベントロップ協定に基づくドイツ軍の支援によってソ連軍の占領は防げた。8月初旬にリュティ大統領が辞任して、8月下旬に新政府がソ連軍との休戦条約を実現した。