沖縄戦で殺害された日本軍兵士の死体を横目に、アメリカ軍は上陸した翌日の1945年3月27日に座間味島の占拠に向かった。1945年3月26日に座間味島は、慶良間諸島の他の島々とともにアメリカ軍に侵攻された。侵攻前に、座間味島の住民は日本軍によって手榴弾による自決を命じられた。アメリカ軍が沖縄戦の初日午前9時に座間味島に上陸して侵攻した。3月23日から座間味島は猛烈な空爆により壊滅した。住民は自分で作った塹壕や山に避難する。3月28日に、座間味島を進撃中のアメリカ軍は、洞窟の中で、首を絞め殺された12人の女性の死体と生き埋めにされた1人の死体を発見した。沖縄戦による住民の惨劇は、早くも始まった。
3月26日午前9時に、アメリカ軍は座間味島に侵攻して、当初は抵抗を受けなかった。座間味島は、こぶ状の島であった。アメリカ軍は南海岸の低い平地の深い湾に部隊をアムトラックで着けて、徒歩での上陸を余儀なくされた。アメリカ軍の侵攻部隊は、海岸の後方にある座間味の町に到着するまで、散発的な迫撃砲と狙撃兵の銃撃を受けた。
座間味島では、アメリカ軍は3月26日午後、日本軍と接触することなく高地に押し寄せた。夜半から翌日3月27日の明け方まで、ライフル、ピストル、サーベルで武装した日本軍の集団が、海岸近くのアメリカ軍の境界線に侵入した。攻撃の矢面に立ったアメリカ軍は、自動小銃と迫撃砲の支援を受けて、日本軍の局地的突撃を撃退した。アメリカ軍の機関銃は何度も持ち替えられた。夜間銃撃戦は、野蛮な白兵戦に展開して、アメリカ軍は7人の戦死者と12人の戦傷者を出して、200人以上の日本軍兵士を殺害した。
慶良間列島への上陸作戦は、3月26日午前8時すぎまず阿嘉島の上陸から始まった。3月29日までに慶良間列島全域は、アメリカ軍の手に陥ちた。アメリカ軍が公式に占領を宣言したのは、3月31日であった。アメリカ軍の攻撃は、慶良間列島に15回にも及び、被ったアメリカ軍の犠牲者は、戦死31人、負傷81人であった。日本守備軍の犠牲者は、戦死530人のほか、121人の将兵と1,195人以上の住民が捕虜にされた。