6/03/2022

Head bowed in shock, a German soldier at Kursk sit on a destroyed artillery gun, near the body of a slain comrade at the battle of Kursk.

 ナチス・ドイツ軍兵士は、1943年夏に第二次世界大戦の東部戦線にてクルスクの戦いで、自らの大砲が破壊された。ソ連のクルクス地方のオルロフ市周辺で、吹き飛ばされて殺害された仲間のドイツ軍兵士の死体の側で、頭を抱えて絶望して落胆して座り込んだ。クルクスの戦いにおける犠牲は、ソ連の赤軍の損失は、赤軍はクルスク防衛作戦(7月5日から23日)で、約177,847人を損失して、そのうち約70,330人が死亡または行方不明となった。赤軍部隊は1,614両から推定で2,000両近くもの戦車を失った。砲弾のうち、約3,929個が破壊された。ドイツ軍の110個師団のうち、3分の1はソ連軍の反攻で弱体化し、ドイツ軍兵士の損失は、約49,000人から54,182人と推定された。特にドイツ軍のパンツァー師団はより大きな被害を受け、1943年12月に東部戦線にあった約3000台の戦車のうち、わずかに300台だけが残存した。

 クルスクの戦い(1943年7月5日から8月23日)は、第二次世界大戦の最大の戦車戦となり、ロシア西部のクルスク市周辺のソビエト軍の防衛地域に、ドイツ軍が侵攻したが攻略に失敗した。この平原の戦場は、ソ連軍の陣地が南北に約240km伸びて、ドイツ軍の陣地の西方に約160km突出した。ドイツ軍は東部戦線で、南北両方から突出部への奇襲して、突出部のバルジ内のソ連軍を包囲して侵攻した。ドイツ軍兵士は約78万人、戦車は約2928台を有した機動装甲師団であった。ソ連軍兵士は1,910,361人と戦車は約5,128台を有した。事前に塹壕内の陣地から主力は撤退した。ドイツ軍は7月5日に攻撃を再開したが、ソ連軍が設置した深い対戦車防御と地雷原に遭遇した。ドイツ軍は北側で約16km、南側で約48kmわずかに侵攻するのに、甚大な兵士と戦車を損失した。7月12日の戦闘の最中に、ソビエト軍はドイツ軍に反撃を開始して、著しく優勢になった。ソビエト軍は8月5日には近郊のオレル(現オリョール)を、8月23日にはハリコフ(現ロシア・ウクライナ戦争のハリコフ)を奪還する大攻勢を展開した。東部戦線のドイツ軍の攻撃力は決定的に低下して、1944年から45年にソ連軍の大攻勢の道を開いた。

 クルスクの南方約50kmの地点で、第二次世界大戦最大の戦車戦が繰り広げられた。ドイツ軍は7月12日に、約1,500両の戦車でクルスクを侵攻した。赤軍の戦車部隊に大きな損失を与えたが、ドイツ軍はクルスクまで進撃できなかった。約2週間で、ドイツ軍はクルスク岬の南側の出発地点まで押し戻された。スターリングラードの攻防戦の再来を回避するため、ヒトラーに停滞を認めさせた。ドイツ軍は撤退中に、パルチザンの絶え間ない攻撃を受けて、何マイルもの鉄道路線を破壊し、ドイツ軍の後方に大規模な混乱を引き起こした。ソビエト軍はドイツ軍の退却に乗じて、ウクライナのハリコフ市を占領した。この都市の解放は、通常クルスクの戦いが終結した。