韓国のベトナム戦争で戦死した韓国人兵士を埋葬するソウルの公園に韓国軍墓地がある。記念公園の韓国軍墓地の内で、1965年にベトナム戦争で戦死した我が子の遺骨を埋葬した墓に向かって母親が慟哭した。1966年1月1日の正月に花々を埋けながら息子の墓に泣き崩れる母親を、身内の女性が支えた。ベトナム戦争記念公園には、無数の戦死した韓国人の墓が立ち並んで、さらに今後の韓国人戦死者のための広大な墓地が整備されていた。かつては、多くの韓国人家族は、ベトナム戦争派兵結団式で我が子と最後の面談をした。韓国軍幹部から閲兵されて、釜山港から南ベトナムに派兵される我が子を見送っていた。
韓国軍は、ベトナム戦争の1965年から本格的に参戦して、1973年に撤退した。のべ約40万人以上の韓国人兵士が、南ベトナム政府軍とアメリカ軍側の戦争で戦うために、南ベトナムに派遣された。猛虎(メンホ)、白馬(ペンマ)と青龍(チョンヨン)の精鋭の軍団が参戦して、南ベトナムに常時約4万人が駐在した。ベトナム戦争に参戦する韓国人兵士らは、韓国各地の基地から続々と釜山港に送り込まれて、南ベトナムに出港した。ベトナム戦争中に、韓国人兵士は約5,300人が殺害された。先史時代以来、韓国人兵士が海外に出て戦ったのは初めてだった。白衣の民族であった韓国は、迫害されても他国を迫害しなかった歴史を破った。
アメリカからベトナム戦争への参戦の要請であった。韓国軍事政権の朴正熙大統領は、1961年5月16日に軍事クーデターで、国家権力を掌握して1963年に大統領となった。漢河の奇跡となる爆発的な経済成長、アメリカ同盟、韓国軍力の強化を求めて、ベトナム戦争に参戦した。政敵や民主化運動を弾圧して、財閥と癒着して腐敗した。1979年10月26日に、宴会で側近の中央情報部(KCIA)の金載圭により射殺された。
Earth No War NGO (ENWN) : Earth No War NGO (ENWN) would like to present "Memory of Earth Wars" that earth citizen experienced miserable histories of earth wars. Earth No War would like to send it to worldwide hearts for peaceful earth citizens as Advocators from Earth No Wars. "Memories of Earth Wars" will be a true prevention against Earth Wars. (Wikipedia, Blogger: Disclaimer; SNS, Pinterest: Prohibit Area; Absolutely Prohibited) earth.nowar@gmail.com @Jan/1st/2016, ENWN