1944年10月25日に太平洋戦争のレイテ沖海戦にて、日本軍の神風特別攻撃機がアメリカ軍の軍艦に向けて、体当たりして自爆するために急降下した。レイテ沖海戦での3日間の戦闘末の10月25日に、日本軍の艦隊を救うために必死する神風特攻隊を発動した。最初は神風を「しんぷう」と呼称して、「それはいい、これで神風を起こさなくちゃならんからなあ」と賛同して命名された。
1944年10月20日午前1時すぎに、フィリピンのマニラのニコルス飛行場で、201海軍航空隊司令部が正式に体当たり攻撃隊を編成して、神風特別攻撃隊と呼称する命令を発動した。
1. 現戦局に鑑み艦上戦闘機26機(現有兵力)をもって体当たり攻撃隊を編成す(体当り機13機)
本攻撃はこれを4隊に区分し、的機動部隊東方海面出現の場合、これが必殺(少なくとも使用不能の程度)を期す。
成果は水上部隊 突入前にこれを期待す。
今後艦戦の増強を得 次第編成を拡大の予定。
本攻撃隊を神風特別攻撃隊と呼称す。
2. 201空司令は現有兵力をもって体当り特別攻撃隊を編成し、なるべく10月25日までに比島東方海面の敵機動部隊を殲滅すべし。
司令は今後の増強兵力をもってする特別攻撃隊の編成をあらかじめ準備すべし。
3. 編成
指揮官 海軍大尉 関行男
4. 各隊の名称を、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊とす。