朝鮮戦争が1950年6月25日に勃発した直後に、1950年7月3日の鳥致院の付近の戦闘にて、アメリカ軍兵士が初めて戦死した。アメリカ軍の衛生兵が、その死体から頭部を挙上して脈を取りながら検死した。鳥致院の戦いは、7月9日から7月11まで勃発した。7月8日に天安市で市街戦が展開されて、アメリカ軍は鳥致院まで退却した。
7月9日午後3時頃に、北朝鮮軍の戦車部隊が、退却した鳥致院の陣地まで侵攻した。7月10日午前6時に、北朝鮮軍は偵察隊を先に送り派手に射撃してアメリカ軍の応戦の有無で配置状態を確認した。その後に、迫撃砲攻撃を仕掛けた。午前8時30分に、アメリカ軍兵士たちは後方の迫撃砲陣地が攻撃された。午前9時から、北朝鮮軍の全面攻撃が始まった。午前11時35分、アメリカ軍大隊の左側を占領した北朝鮮軍は最前列と左後方まで攻撃した。アメリカ軍が北朝鮮軍に陥落寸前か陥落したと勘違いして、猛烈な自陣内射撃を行った。アメリカ軍兵士たちは次々に自陣地を離脱した。午後12時05分に、ついにアメリカ軍は撤退を決意して号令した。鳥致院から前哨地へ迫撃砲弾を運んだ際に待ち伏せに遭った。
7月11日午前1時頃に、アメリカ軍は第1大隊の陣地に到着した。その陣地に北朝鮮軍とゲリラが入り込んだ。砲撃支援を要請できず、自らの火力で対抗するも、補給が円滑でない中で、負傷者の後送もできず、アメリカ軍3大隊は正午頃にはほぼ壊滅した。7月12日午前9時30分に、北朝鮮軍1大隊が支援砲撃の中、アメリカ軍大隊の左側を攻撃し、反対側からも押し寄せて、正午頃にアメリカ軍大隊は混乱した。7月12日に、アメリカ軍は鳥利院から金剛南岸まで撤退した。