ベトナム戦争が激化していた1968年2月25日に、20歳のアメリカ軍兵士はケサン近郊のジャングルの中で北ベトナム軍に待ち伏せられて殺害された。生存したアメリカ軍兵士らが集まって、その死体だけをジャングルの下草を引こずりながら必死で護送した。
2月25日朝に、アメリカ軍の約40人の小隊は、ケサン戦闘基地の外でパトロールをしていた。北ベトナム軍の待ち伏せに誘い込まれて襲撃された死体。約40人うちで約24人が殺害された。そのジャングルの中から前哨基地まで護送できた唯一の死体となった。
ケサンのアメリカ軍部隊が、前哨基地の付近で待ち伏せされた攻撃された。若いアメリカ軍兵士はすでに戦死して、彼の部下の兵士らは絶望的になった。彼らは死体の手首と足首を持ち上げて、ジャングルから引きずりながら、顔をしかめて前哨基地まで持ち帰った。彼らの一人は、将校の腹部の傷の近くに出血した布を見下ろした。茂みからすぐ後ろのアメリカ軍兵士は、ヘルメットなしで死体を護送した。
撮影した戦場カメラマンは、写真を出版社に送信した後に、ケサンに戻ろうとした。1968年3月6日にダナンからケサン行きの航空機に乗り換えた。ダナンで航空機には、兵士と装具を載せて、戦場のカメラマンを含めて約40人が乗員した。航空機がケサンに近づいて墜落して、機内の約40人全員が死亡した。戦場カメラマンの写真は、3月18日に「ケサンの苦しみ(The Agony of Khe Sanh)」と表題して、ニューズ・ウィークに掲載された。
ベトナム戦争にて、1968年から1月21日から7月9日まで、北ベトナムとの国境付近でケサンの戦いが勃発した。 北ベトナム軍が包囲して、ケサンの戦闘基地を巡って攻防をした。アメリカ軍は、北ベトナム軍の包囲を解除した後に、ケサンの戦闘基地を爆破して南ベトナムに撤退した。アメリカ軍は、ケサンの戦闘基地で約6,000人のうち、約274人が戦死して、約2,541人が戦傷した。北ベトナム軍は約17,200人のうち、推定で約1,602人の死体が認められて、犠牲者は約5,550人と想定された。