アフリカのルワンダ内戦で、1994年4月にブルセラにあるタラマ教会の中で約5,000人ものツチ族がフツ族過激派により大量虐殺された。その後に肉が剥げ落ち、すべてが骨と化した無数の人間の遺骨が散乱した。
4月6日の大統領機撃墜の直後から、フツ族の攻撃を恐れて、ツチ族はタラマ教会に避難した。教会内のツチ族は投石、弓、槍などで数日間は持ち堪えた。4月16日には、武装したフツ族兵士と民兵組織のインテラハムウェがタラマ教会を包囲した。手投げ弾で破壊された教会の壁の穴から、フツ族の武装組織が教会内部に侵攻してツチ族を大量虐殺した。教会の周囲にもフツ族が待ち構え、逃亡するツチ族を殺戮した。生き残ったのはツチ族は10人も満たない。
ルワンダのブゲセラにあるタラマ教会は、1960年代初頭に勃発したフツ族による迫害や殺戮を逃れたツチ族が作った拠点だった。教会はフツ族の攻撃目標とされた。1990年にフツ族のルワンダ愛国戦線(RPF) が侵攻した後に、ルワンダ各地でツチ族に対する報復の殺戮が行われた。1992年3月にブゲセラでも約300人を越すツチ族が報復として虐殺された。
アフリカのルワンダ虐殺は、実質1ヶ月余で約30万人を、ナタや棍棒、石などの身近な武器で殺し尽くした。殺し屋は、体力と精神力を要する虐殺を、効率に多くの人間せるように毎日毎日訓練を重ねた。殺戮はキガリから勃発して、さらに瞬時にルワンダ全土へと拡大した。フツ族政府に変わると、死体を埋葬しないで、死んだツチ族の骨はテーブル上に積み上げた。教会の内部にいたツチ族の死体は放置された。大虐殺の後に、何年もの間、教会の中から腐臭が漂った。