1945年4月15日に、ドイツ・ニーダーザクセン州チェレ近郊のベルゲン=ベルゼン強制収容所で、イギリス軍の部隊が強制収容所を解放後に、ナチス・ドイツ軍親衛隊の将校らに囚人の死体を集団墓地に埋葬するためにトラックに積ませて運ばせた。強制収容所を運営していたのはナチス・ドイツ軍の親衛隊員であった。ドイツ軍兵士は、囚人を獣として扱っ、人間が文明の階段を落下するのは、ユーモラスだった。彼らは自分の仕事を愛し、自分たちが見た囚人苦しみをほくそ笑んでいた。強制収容所のドイツ人女性陣は、石のような顔をして、硬くて、タフな女性たちであった。時には、親衛隊の男たちよりも悪質で極悪非道なこともあり、地獄の花嫁と命名した。
1945年5月18日付のチャーチ・タイムズに、従軍牧師であるT・J・ストレッチが語った。約6万人の囚人が、別の敷地の小屋に集まった。各小屋には約500人から1,000人ほどが住み込み、3段の寝台に身を寄せ、寝台のない者は床に寝転んだ。小屋は、わずか長さ約30m、幅や区10m、高さ約3m程度に密集した。
イギリス軍が解放する前に、3月の1カ月間で1万7000人が死亡した。到着する3週間、囚人には食料が支給されず、1週間は水もなかった。強制収容所内を回ると、約2000体以上の死体が横たわった。杭の一番下に約100人も集団埋葬した。毎朝、約200~300人の死体が建物から運ばれて、外地に安置され回収された。
約500人以上の囚人は、小屋で地面に横たわった。約400人が、もう二度と立ち上がれず、死んだ。収容所には衛生設備がない。各小屋の便所は、ずっと前に機能停止した。不潔な生活環境、飢餓で、骸骨になった。身体も心も壊されて、何も感じず、何も考えず、物言わぬ動物のようである。横たわって眠ると、二度と起き上がれず、墓に運ばれた。集団墓地には、殺害され、飢えや伝染病で死んだ膨大な囚人の死体が横たわった。収容所の一角に、約500体ほどの死体が山積みになった。死体のそばに、何人もの囚人座り込み、死体が、日常生活の一部になった。