第二次世界大戦の東部戦線にて、ソビエト軍の狙撃兵によって、ドイツ軍兵士は立位で射撃された。死にゆくドイツの兵士は、両上肢を挙上して右手からライフルを投げ出した。東部戦線の最前線でドイツ軍兵士は、人生を終わらせる弾丸を受け取って戦場に倒れ込んだ。ソビエト軍の赤軍の狙撃兵がライフルを発射した直後に、ソビエト軍の最前線のカメラマンによって戦死の写真が撮影された。
第二次世界大戦でナチス・ドイツ軍の最大の侵略戦となったバルバロッサ作戦が1941年6月22日に始まった。ソ連の国境を越えたドイツ軍は、約60万台の車両と約75万頭の馬に支えられた約400万人のドイツ軍兵士が、長さ約3,000キロに及ぶ最前線を攻撃した。侵略から最初のわずか7日間で、ナチス・ドイツ軍は、ソビエト領土に約300kmも侵攻して、モスクワまでの約1/3の距離を侵略した。電撃戦は当初は順調であり、ナチス・ドイツ軍の攻撃は、ソビエト軍は脅威で圧倒されて、初期のソビエト軍の損失は壊滅的であった。最も悲惨なのは人的損失であった。1941年12月までに、ソビエト軍は軍隊全体で約270万人の兵士が殺害されて、約330万人が捕獲された。失った損失は、ドイツ軍兵士1人につき、ソビエト軍兵士は約20人も損失した。ソ連侵攻した最初のわずか9日間で、ドイツ空軍は、空中戦で約1,400機、地上戦で約3,200機のソ連空軍全体で約40%の戦闘機を損失した。ナチス・ドイツ軍が損失した戦闘機は、わずかに約330機であった。さらに1941年8月中旬までに、ソビエト軍は約3,300両の戦車を崩壊したのに対して、ナチス・ドイツ軍はわずか約220両のみを損失し、驚くべき約15:1の損失の比率であった。
1941年末からソビエト軍は、ナチス・ドイツ軍の電撃戦から回復して、彼らの抵抗力は固まり、ドイツの損失が次第に積み重なった。1941年8月までにナチス・ドイツ軍が約46,000の損失が、1941年12月までに約25%が戦死傷した。1941年11月までは、ソビエト軍は極度に悲惨な状況となった。ナチス・ドイツは戦争に勝利したと喧伝していた。約200万人のソビエト軍兵士の捕虜、約22,000個の大砲が押収されて破壊され、約18,000台の戦車が破壊され、戦闘機14,500機が撃墜された。ナチス・ドイツ軍は首都モスクワからわずか約16kmの距離に迫った。ソビエト軍にはわずか約9万人の兵士と約150両の戦車が残存していた。首都モスクワの陥落は目前と見なして、1941年11月7日に、スターリンはモスクワの赤の広場で軍事パレードを挙行した。
1941年12月に入り、気温は-35度にまで急降下した。ロシアでも通年よりも異常に極寒となった。ドイツ軍は極寒の準備が不十分となり、凍傷・飢餓・病気などの13万人もの死傷を伴って、最前線のナチス・ドイツ軍の軍隊を弱体化させられた。1942年1月から補給と設備されたソビエト軍の軍隊は、疲れ果て弱体化したナチス・ドイツ軍を約100kmから200kmも西部に押し戻した。第二次世界大戦で、ナチス・ドイツ軍が被った最初の大敗と撤退となった。最も血なまぐさい戦いとなったモスクワの戦いで約100万人のドイツ軍兵士が命を落とした。