ベトナム戦争にて、1968年にベトナム人の少年が、カトリック教会に通う途中で、アメリカ軍のヘリコプターの銃弾で殺害された。取り囲んだ仲間の少年らは、南ベトナム政府の熱心な支持者であり、彼らはアメリカ軍の支持者でもあった。都市部の戦闘により都市住民もアメリカ軍に幻滅して、アメリカ軍の指導者たちを信じるができなくなり、または支持することに億劫となった。
1968年には、南ベトナムに展開していたアメリカ軍と同盟軍は、北ベトナム軍兵士およそ約5万人と、軍服を着た人民解放軍兵士約6万人を相手に交戦した。非正規の地元出身のゲリラに加わったベトナム人は数十万人に達した。人民解放軍とゲリラを含めて「ベトコン(ベトナム人共産主義者)」と軽蔑して呼称した。当初は、アメリカ軍は北ベトナム兵士と民間市民とを区別していた。現実には、次第に見分けるのは非常に困難となった。アメリカ軍兵士は、共産主義の侵略から南ベトナムを守るための戦いから、敵は誰であり目標も失っていった。1968年3月16日にはアメリカ陸軍歩兵小隊がクアンガイ省ソン・ティン県ソンミ村のミライ集落において無抵抗の約504人の村民人を無差別射撃などで大量虐殺するソンミ村虐殺事件が発生して、事件が報道されアメリカ国内で反戦運動が激化した。