第2次世界大戦ではフィンランドは、1941年6月に独ソ戦と同時に枢軸国側として、ソ連に対して冬戦争に次いで継続戦争を再開して、約65,000人もの戦死者を出した。ソ連軍に、1944年6月にカレリア地峡の陣地が突破されて、塹壕に多数のフィランド兵士が虐殺された死体が散乱した。
フィンランド軍は継続戦争から、クーテルセルカ近郊にて連結するVT線を防衛するフィンランド側とソ連側が衝突した。1944年6月14日午前に、ソ連軍はクーテルセルカ近郊を爆撃して侵攻した。フィンランド軍は猛砲撃を受けて敗走した。フィンランド側は戦力を再投入して防衛線を張って、ソ連軍の突破口の拡大は抑えた。ソ連軍は6月14日昼には防衛線を突破して、ソ連軍はクーテルセルカ近郊を素通りしてVT線を包囲した。
フィンランド軍は、クーテルセルカ近郊の突破口を塞ぐため、6月14日夜からソ連に攻撃を行った。ソ連軍の反撃を受けた6月15日午後には攻撃を中止して、クーテルセルカ近郊から撤退した。ソ連軍がクーテルセルカ村を占領したことで、フィンランド軍は防衛線を包囲されて、連鎖的に戦線が崩壊して、フィンランド軍は全部隊ともVT線を放棄して、ソ連軍の進攻を遅延させて、次の防衛線であるVKT線まで撤退した。