日中戦争における日本軍の不許可写真である。写真は、1937年7月23日に日本軍の上海特別陸戦隊は多数の中国軍兵士を、捕虜として両手を絞って集結させた。両手を背中で絞った捕虜とした。その足元に1人の中国人兵士が虐殺された死体が横たわっていた。写真には、日本軍新聞審査局により「不許可」のスタンプがされた。
1938年5月頃から、毎日新聞社の従軍記者が自ら撮影したり,戦地で兵士が撮影した写真を集めたりして,報道写真とした。公開前には,陸軍の報道部で検閲を受けた。赤色で「不許可」と印章された写真は,公開できなかった。不許可の理由は、8月16日に海軍省令にて、「わが軍に振りになる写真・残虐なる写真は掲載せざること」と厳命された。記者は、「八月二三日竹下部隊に捕えられた正規兵の捕虜」と記載した。中国人捕虜が、1人の中国人兵士のように殺害されたかどうかは記載がない。
1937年7月7日に北京郊外で盧溝橋事件が起こり、日本が華北に陸軍兵力を派遣して、日中戦争が勃発した。第2次上海事変は、1937年8月9日に日本軍の上海海軍特別陸戦隊西部派遣隊長が、中国保安隊の警備する虹橋飛行場へ突入しようとして銃殺されて勃発した。諸外国の権益が錯綜し、多数の外国人居留民のいる上海で、日本軍と中国軍が武力衝突した。