第二次世界大戦の東部戦線にて、 レニングラード包囲戦が解放された直後の1944年2月に戦死した多数のドイツ軍兵士の死体が、レニングラード近郊に放置されて雪に覆われた。
レニングラード包囲戦の封鎖期間中に、コムソモリスカヤ・プラウダの戦場記者であったボリス・クドヤロフ(Boris Kudoyarov)は、約900日間もずっとドイツ軍に包囲された都市であるレニングラードで、ソ連軍兵士たちとともに第一線で働いた。ボリス・クドヤロフは、文書や写真作品に基づき、レニングラード包囲戦を描写した「レニングラード・サイクル」は軍事写真ルポルタージュの古典を作成した。
クドヤロフの写真には、レニングラードの封鎖に特化した約3000枚の写真がある。約900日間に及ぶ凄惨な戦争をテーマ別に紹介した。戦争の出来事を可能な限り撮影することが責務と考えた。彼の作品の特徴は、複雑な写真的解決策と検証された構図の完全性であり、描かれた戦争の出来事の本質を反映した。写真記者の直接的で自然な反応であった。ボリス・クドヤロフは、レニングラード住民の比類なき勇気と、死が当たり前の時代の、ドイツ軍の包囲下の恐ろしい生活の細部を創作した。
レニングラード包囲戦は、第二次世界大戦の東部戦線において、ドイツ軍と枢軸国軍がソ連の都市レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に対して行った1944年9月8日から1944年1月27日の872日間の長期にわたる軍事封鎖であった。ドイツ軍は、約579,985人の死傷者が犠牲となった。ソ連軍兵士は約1,017,881人の死者、捕虜、行方不明者となり、約2,418,185人が戦傷者と病人となった。ソ連民間人は、約104万2000人が死亡して、包囲中は約642,000人と避難時に約400,000人が死亡した。
厳重に要塞化されたドイツ軍の抵抗拠点は両側を包囲され、1944年1月17日朝に襲撃されて、ドイツ軍の防御は崩壊した。1月27日にドイツ軍を圧倒し追い返し、ようやく封鎖が解放された。1月27日、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは公式に包囲戦の終結を宣言した。レニングラード包囲戦は、歴史上最も長く、最も破壊的な包囲戦の一つとなり、多くの死傷者を出して、最も犠牲の多い包囲戦となった。