太平洋戦争のグリーン諸島の戦いにて、日本軍兵士は約120人が戦死して全滅した。ニュージーランド軍とアメリカ軍に殺害された日本軍兵士の死体がグリーン島のジャングルに散乱した。グリーンランド諸島の最大の島である日産島は、通称グリーン島とも呼ばれ馬蹄形をした。残った日本軍は死闘を繰り広げ、降伏する者は一人もいなく全滅して玉砕した。
グリーン諸島への攻略は1944年2月15日から2月20日まで、ニュージーランド軍とアメリカ軍の連合軍約5,800人がグリーン島へ上陸して勃発した。グリーン諸島は、ラバウルの真東約200km、ブカ島の北西に位置する小島である。日本軍は、2月初旬に潜水艦で上陸した今村均の 第8方面軍から12名の海軍監視員と約80名の陸軍要員で構成されていた。この小さな部隊はさらに増強され、約120人に達した。グリーン諸島に航空基地を設けて、ニューアイルランド島のカビエンを爆撃した。グリーン諸島には日本軍の海軍見張所があり、連合軍が上陸する気配を察したラバウルの南東方面艦隊は、日本軍陸戦隊の一個中隊を急ぎ派遣した。約3日間の戦闘でほとんど全滅した。日本軍は2月19日に最後の反撃を試みた。
2月15日に海岸に上陸した連合軍の陣地が設置されると、シロート島周辺にいた日本軍が、短期間だけ抵抗した。翌日2月16日に、ニュージーランド軍部隊は島を横断して内陸に侵入し始めた。タナヘラン近くの島の南端にある教会周辺では、約70人の日本軍集団に遭遇した。日本軍集団は、戦車の支援を受けたニュージーランド軍により、数日間で制圧されて、日本軍兵士約62人が死亡した。2月19日にさらなる地上戦が行われ、2月20日に、ようやくグリーン島の安全が宣言されて、約120人から150人の完全に劣勢の日本軍から奪還した。2月23日に日本軍の組織的抵抗は停止したが、掃討作戦は2月末まで続いた。日本軍の全兵士の約120人が全滅して死亡した。連合軍の死傷者は13人、負傷者26人であった。