第二次世界大戦の東部戦線となったポーランドの首都ワルシャワにて、1941年9月19日にオコポワ通り墓地の集団墓地で、ドイツ人のハインリヒ・ヨースト(Heinrich Jöst)がワルシャワ・ゲトーを撮影した。ボーランド人の葬儀屋が、墓地の底に並べられた死体の層を眺めていた。次々にゲトーのユダヤ人の死体の層ができあがり、石灰で覆われた。ひとつの穴に、これほど多くのユダヤ人の死体を収容できるスペースがあった。ゲトーの死体は互いに寄り添って横たわった。隣同士に、足を絡めて、あらゆる小さな空間を埋め尽くした。死体の多くは、ユダヤ人女性であった。
ワルシャワ・ゲットーを、ドイツ軍の下士官であるハインリヒ・ヨースト軍曹は、1941年9月19日にワルシャワに駐留する部隊を休み、ゲットーで丸一日かけて写真旅行をした。9月19日は、彼の43歳の誕生日であり、その夜に、ホテル・ブリストルで、友人たちと祝賀会を開く予定だった。ホテルに向かう直前に、彼はローライフレックス(Rolleiflex)カメラで、ワルシャワのゲットーの写真撮影した。彼は複数の機会にワルシャワのゲトーに行った可能性もある。複数の場所で撮影した160枚の写真を撮るには、おそらく1日では十分ではなかった。1941 年 4 月、3.07km2のワルシャワ・ゲットーには約 45 万人が一人当たり7平方メートルで住んでいた。
ゲットーの悲惨さ、飢餓、集団墓地をより詳しく撮影した。ハインリヒ・ヨーストが亡くなる1年前の1982年に、ヨーストは写真をドイツ人のジャーナリストのギュンター・シュヴァルベルク(Günther Schwarberg)に引き渡した。ギュンター・シュヴァルベルクは写真コピーの複写を、イスラエルのヤド・ヴァシェム(Yad Vashem)にも渡した。写真を展示して、ホームページにも掲載した。ギュンター・シュヴァルベルクは、2001年に「ワルシャワのゲットー: ハインリヒ・ヨーストの写真(In the Ghetto of Warsaw: Heinrich Jöst’s Photographs)」というタイトルで写真集を出版した。