7/17/2023

A Japanese soldier kneels beside the body of a comrade Japanese soldier killed by German troops during the siege of Qingdao, Shandong Province, China, Oct. 1, 1914, during World War I.

 第一次世界大戦の青島包囲戦にて、日本軍兵士が1914年10月1日に、中国山東省の青島包囲戦で、ドイツ軍に殺害された同志の日本軍兵士の死体の側でひざまずいた。仰向けに倒れた日本軍兵士の死体の側で見守った。1914年秋に、イギリス軍は中国の青島で日本軍とともに戦った。目標は青島のドイツ海軍基地で、約4,000人が駐留した。2ヶ月の包囲の後に、11月にようやく青島は陥落した。犠牲となった日本軍兵士の死者は約733人、戦傷者は約1,282人であった。イギリス軍は死者は約12人、戦傷者は約53人であった。ドイツ軍は、死者は約199人、戦傷者は約504人に及んだ。

 ヨーロッパの西部戦線と東部戦線で戦闘が繰り広げられる一方で、連合軍とドイツ軍との間では、小規模な戦闘が世界各地で勃発した。極東では、連合国は中国の青島にあるドイツの海軍基地を侵略した。イギリスは長い間、中国におけるドイツの存在を、イギリスの利益に対する脅威とみなした。1902年以来、日本と同盟を結んで、日本はアジア大陸に領土的野心を持っていた。

 日本軍は開戦前から、青島を包囲する準備を整えていた。1914年8月15日に、ドイツに最後通告して、ドイツは中国と日本の領海から軍艦を撤退させ、青島を引き渡すよう要求した。拒否されて、1914年8月23日、日本はドイツに宣戦布告した。8月27日から、140門以上の大砲で武装した約2万人の日本軍が青島に上陸し、軍艦とともに港への砲撃を開始した。9月2日に、日本軍は、9月2日に山東半島北岸の龍口から上陸した。イギリスは、中国北部の天津を守備した海軍部隊と約1,500人のイギリス軍兵士の派遣を決定し、青島港の周辺で日本軍と合流した。日本軍は、艦船からの初の航空攻撃、初の夜間空襲により青島港の包囲戦をした。重榴弾砲でドイツ軍を弱体化しながら、塹壕を徐々に侵攻した。ドイツ軍は約2カ月も持久戦して、11月7日に降伏した。その3日後に青島港を引き渡して、日本軍が占領した。

 好機到来とばかり参戦した日本は、ドイツの租借地である青島を占領した。山東半島をおさえると、5項目二十一か条の要求を中国の袁世凱大総統に手わたした。山東省のドイツの権益を日本にゆずる、旅順・大連、満鉄の権益期限を99か年延長、内モンゴルの権益要求、中国政府に日本人顧問をおくなどである。交渉25回、袁世凱は日本の圧力に屈した。中国民衆は憤激し、要求受け入れの日を「国恥記念日」とよび、日本製品の不買運動を起こした。