ペリリュー島に1944年9月15日にオレンジビーチに上陸したアメリカ軍と日本軍は白兵戦を繰り広げた。アメリカ軍は、日本軍に殺害されたアメリカ軍兵士の戦死者を仮埋葬する前に、死体の身元の確認を急いだ。海岸陣地の日本軍は、銃剣での白兵戦をアメリカ軍に挑んだ。海岸一帯では、アメリカ軍と日本軍の敵味方の死体が折り重なり殺戮の場と化した。死体数は 明らかにアメリカ軍の迷彩服が多かった。アメリカ軍は第一次上陸作戦は敗退して、海上に引き揚げた。
太平洋戦争にて、1944年9月15日午前5時にペリリュー島をのぞむ海上は、見渡すかぎり大小のアメリカ軍艦艇で埋め尽くされた。直後に、戦艦と重巡が砲門を開き、ペリリュー島の日本軍に艦砲射撃を開始した。同時にアメリカ軍は一斉にペリリュー島へ上陸作戦を開始した。アメリカ軍の上陸地点は、日本軍が西浜と呼ぶ南部海岸だった。
アメリカ軍が上陸した西浜に、日本軍は6カ所の前線陣地を設けた。西浜に押し寄せたアメリカ軍は、海岸線から約13km付近で約50隻余の輸送船から、兵士を満載した約20隻の大型舟艇で、艦砲射撃の砲弾の援護下で、次々と海岸線に送り出した。大型舟艇群から上陸用舟艇約300隻で、午前7時30分頃に隆起珊瑚礁に接近した。舟艇から水陸両用車に乗り換え、海岸に殺到した。日本軍が一斉に反撃を開始した。8時30分頃に、ついにアメリカ軍の一部が、イシマツ陣地付近からアヤメ陣地にいたる海岸に漂着するも、第一次上陸は失敗して、海上に引き上げた。
その次にアメリカ軍は、西地区と南地区を迂回した間隙から強行突破した。アメリカ軍は上陸して、橋頭堡を確保した。日本軍は、斬り込み決死隊を編成し、戦車隊を加えて反撃した。日本軍の軽戦車は、アメリカ軍の対戦車砲とバズーカ砲が一斉に火を吹き、次々と崩壊した。ペリリュー島の日本軍はバンザイ突撃を避け、アメリカ軍に一発一殺主義を貫いた。オレンジビーチの戦闘は一週間くらいで、その後は日本軍は日中は洞窟陣地の中にいて、夜になってゲリラ戦の毎日であった。次第に日本軍兵士は減り、損害は大きいも、アメリカ軍の損害も甚大であった。アメリカ軍には増援が続々到着した。日本軍には一兵も一発の弾丸も補給されなかった。日本軍はやむなく前線陣地を撤収して、山岳地帯の洞窟に撤退して潜伏した。
日本軍は、隆起珊瑚礁の山々に削り広げた洞窟陣地や堅固なコンクリート製トーチカに立てこもった。西地区の海岸線に椰子林で、日本軍とアメリカ軍が対峙して、敵味方入り乱れての殺し合いとなった。日本軍は『突っ込めェ!』の合図で穴を飛び出した。アメリカ軍の第一線は黒人兵士が多く、多くの黒人が殺害された。起き上がり拳銃を向ける息のあるアメリカ軍兵士に、日本軍兵士は弾で撃たずに銃床でぶん殴った。傷ついて椰子の木の陰に隠れたアメリカ軍兵士は、日本軍も次から次へと、海岸では敵味方入り乱れた白兵戦が展開された。