第2次世界大戦の東部戦線におけるレニングラード包囲戦に参戦したスペイン義勇軍の兵士が、塹壕から両手を上げながら出て、1943年2月10日にソビエト赤軍に降伏した。塹壕からの出口には、多数のナチス・ドイツ軍の親衛隊の戦死した死体が散乱していた。ソビエトの内務人民委員部(NKVD)は、降伏したドイツ軍兵士は捕獲せずに、その場で射殺する指令を出していた。
スペインは青師団と呼称されて、第二次世界大戦中に東部戦線におけるドイツ軍に国軍ではなく青師団と呼称された義勇兵を参戦させた。スペインは西部戦線の連合軍とは対戦せずに、東部戦線のソビエト共産主義のみに約45,000人のスペイン義勇兵が対戦した。レニングラード包囲戦には、1942年8月から1943年10月まで参戦して、戦死者は約4,954人と戦傷者は約8,700人に達した。
レニングラード包囲戦は、ナチス・ドイツ軍が1941年9月8日から1944年1月18日までの872日にわたり、レニングラード(現サンクトペテルブルク)を包囲して、ソビエト赤軍とレニングラード市民の約150万人が犠牲となった。ソビエト赤軍は1943年1月12日にイスクラ反攻作戦を決行して、1月18日に完全に周囲から包囲されて陸の孤島と化していたレニングラードに続く陸上ルートが確保されて、ナチス・ドイツ軍の包囲線が一部消滅した。さらにソビエト赤軍は1943年2月10日にクラスノボルスカヤ作戦にて、レニングラードを包囲しているナチス・ドイツの第18軍部隊を攻撃した。その結果、ソビエト軍が一時的にレニングラードから約5km離れた地点でナチス・ドイツ軍を撤退させた。その後にナチス・ドイツ軍は増援を受けて、それ以上にソビエト赤軍は侵攻することはできなかった。その戦闘では、ソビエト赤軍兵士は約10,000人が死亡や行方不明となり、ナチス・ドイツ軍部隊は約3,600人の兵士が戦死して、その一部はスペイン義勇兵が含まれた。