長崎市内に1945年8月9日に原子爆弾が投下して炸裂した。第2次世界大戦後では初めて、長崎市西坂町26聖人の高台にて、長崎原子爆弾の被爆犠牲者に対するキリスト教による野外ミサが1945年3月に挙行された。西坂町は長崎原子爆弾の爆心地から約2.1kmで、一面が壊滅して廃墟となった。被爆後に、西坂町の高台は、被爆者の遺骨の集積と埋葬の丘となった。
キリスト教を京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が、1597年2月5日に豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、十字架の磔で処刑された丘であった。キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に似て、キリスト教信者達がこの地を処刑の場に願い出た。26聖人の殉教以降も多くの人々が、火あぶり、水責め、穴吊りなどでこの地で虐待と虐殺の処刑がされた。第2次世界大戦後に、原子爆弾の被爆から復興して、殉教地であった小高い丘を公園にかえて、昭和31年、長崎県はこの丘を史跡に指定した。26人の殉教者は、1862年に列聖となり、100年目の1962年に26聖人等身大のブロンズ像嵌込記念碑と記念館が西坂公園に建立された。1950年には、ローマ教皇・ピオ12世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めた。