ベトナム戦争にて、クチのホーボーウッドにおいて、アメリカ軍兵士が1968年に戦死した。森林のジャングルにおける接近戦により、北ベトナム軍兵士らに銃殺された。同僚のアメリカ軍兵士は、戦死した直後の死体を抱えた。死体はまだ死後硬直もなく、死体は移動するたびに鮮血が流れ落ちた。近くの仲間のアメリカ軍兵士は、ヘルメットを取って、目頭を抑えながら慟哭した。
クチは、南ベトナムから北西へ約70km場所に位置した。ベトナム戦争では、クチには全長約250kmに及ぶ地下に無数にはりめぐらされた地下トンネルにより難攻不落で、鉄の三角地帯と呼ばれた。南ベトナム解放戦線の兵士らは見通せない湿潤のジャングルに身をひそめては、入り込んだアメリカ軍を攻撃するなどゲリラ作戦を展開して、ベトコンの拠点となった。に向けて、クチから出撃して1968年1月31日のテト攻勢した南ベトナム解放戦線は、その直後からのアメリカ軍の無差別な爆撃で大きな犠牲を伴った。その後クチを含むロンアン省には南ベトナム解放戦線が北ベトナム正規軍により再建された。クチ北方のホクモン橋で1968年3月25日に、アメリカ軍1個小隊が南ベトナム解放戦線に攻撃を受けて壊滅した。
ベトナム戦争は、第一次インドシナ戦争の延長上に勃発した宣戦布告なき戦争であった。南ベトナム解放民族戦線が南ベトナム政府軍に対する武力攻撃を開始する1960年12月20日に始まり、1965年2月7日からアメリカ合衆国と北ベトナムの戦争を経て、1975年4月30日のサイゴン陥落まで続いた長期間にわたる悲惨で残酷な消耗戦争となった。北ベトナム軍兵士を抹殺するために、アメリカ軍兵士は最も危険な農村、山岳からジャングルを偵察した。アメリカ軍兵士は、「なぜおれたちはここにいる。おれたちはここで何をしてるのか。いつまで続くのか。戦争では個人の存在が認められない。その疑問がいつも頭の中にある。」とベトナム戦争の正義を見失った。ベトナム戦争の意義もわからず戦い続けるアメリカ軍兵士は戦争の正義を疑い、行動と役割を疑い、徐々に不安と疑惑が増し、士気が低下し、戦う勇気を失った。ベトナム戦争で戦死した味方も敵も含めた人間の悲惨な死体を目撃したことが生き残った兵士にとって、脳裏に深い傷跡となった。