ベトナム戦争にて、1963年に戦場で激戦が終結して、戦場の夜が明けると解放戦線(ベトコン)兵士の死体が横たわった。重機関銃で銃撃されて、死体はまるで蜂の巣のように撃ち抜かれた。1963年7月頃には、ベトナムでは反政府ゲリラによるゲリラ戦が勃発していた。アメリカから派遣された軍事顧問団や政府軍は、ベトコンとの戦闘を繰り返した。
1963年初頭までに、ベトナムに駐留するアメリカ軍兵士の数は、数百人から数年のうちに1万人以上に増えていた。朝鮮戦争が勃発して停戦してから10年も経ていない。地球の裏側のベトナムで起こった紛争に、アメリカ軍が直接に関与する影響は、アメリカ国民の話題の一部であった。1963年当時は、ベトナムにおけるアメリカ軍の役割の拡大は、まだ包括的で分裂的な問題にまで発展していなかった。
1963年1月25日に『LIFE』誌が「We Wade Deeper Into Jungle War」の強烈な表紙と記事を掲載して、カラー写真を添えて注目された。LIFEの写真が1963年以前から、ベトナム戦争中も『LIFE』誌などやアメリカの主要マスメディアは、紙面でもテレビでも、生々しく不安を煽るベトナム戦争を定期的に掲載し放送した。1964年6月12日号『LIFE』に岡村昭彦の「醜いベトナム戦争(9ページ)」の特集が掲載され写真に反響を呼んだ
雑誌に掲載される写真は、恐ろしいほど拡大する紛争を鮮明に記録して、戦争の生々しさを示唆した。ぼろぼろに切断された手足、放火された死体、内臓で覆われた壁などは、生弱なアメリカ人には動揺が大きすぎた。大手マスメディアに慣れ親しんだアメリカ人には、大衆週刊誌にベトナム戦争の陰惨な写真が日常的に掲載された。