エル・サルバトルの国家警備隊が、1982年のエルサルバドル内戦(Salvadoran Civil War)の戦闘で殺害された。エル・サルバトル軍兵士は、街路に倒れた死体に白シーツをかぶせた。その周囲の反政府の民族解放戦線(FMLN)を緊張しながら拳銃を構えながら監視した。
エルサルバドル内戦(1980-1992)は、政府軍によって約7万5千人以上の市民が犠牲になった。16世紀のスペインによる征服以来、人口の約95%を占める先住民や混血は農奴制に陥り、14家族と呼称される少数の土地所有者が、軍事独裁政権を経て支配した。労働指導者のアグスティン・ファラブンド・マルティが、1932年1月に農民の反乱を起こした。サルバドール政府軍の報復で鎮圧され、約3万人の市民が虐殺された。
1960年代から1970年代には、左翼のゲリラと右翼の準軍事的な死の部隊が内乱を繰り広げた。1979年10月15日に、軍事クーデターが革命政府軍(JRG)を結成した。1980年1月、JRGに対して右翼の暴力が勃発し、政府機関紙への爆弾テロ、誘拐、殺人などが起こり、JRGの文民指導者は全員辞職した。
1980年のロメロ大司教の暗殺から、本格的な内戦(1980-1992)に突入した。ロメロ大司教の25万人の葬儀に政府軍の狙撃手が約42人を殺害して、約200人以上が負傷させた。1980年9月に、5つの主要な左翼革命組織が合併し、ファラブンド・マルティ民族解放戦線 (FMLN)がゲリラ軍を編成した。1980年12月、4人のアメリカ人女性牧師が軍事組織によって強姦と虐殺された。1980年にレーガン大統領は、冷戦下で残虐行為を行ったエルサルバドル政府を友好国と見なした。1981年1月10日にFMLNが政府軍に全面的な攻撃を開始して、アメリカはサルバドル政府を支援した。1980年代を通じて、政府軍、ゲリラ、準軍事組織の間の内戦は、市民を拷問、虐待と虐殺、強制失踪、超法規的殺人、集団強姦にさらした。約75,000人のサルバドル人が虐殺、即決死刑、地雷、無差別爆撃によって殺害された。
1989年11月16日に対反乱迅速展開部隊「アトラクアトル旅団」が中米大学構内に侵入し、イエズス会の神父と家政婦と娘6人を強姦して虐殺した。イエズス会の虐殺は、1989年にアメリカ議会の特別調査委員会が、首謀者であるサルバドル将校団約26人のうち19人がアメリカ陸軍の軍事訓練を受けたことを公表した。1988年から1991年の東欧革命とソ連の崩壊が、FMLNに重要な同盟国を喪失した。1992年1月16日に、メキシコシティで国連の仲介でチャプルテペック和平協定が調印された。2009年FMLNは大統領選挙に勝利した。