沖縄戦にて1945年5月中旬頃に、アメリカ軍兵士は、軍用犬が日本軍兵士の生死を嗅ぎ分けながら、死体のかたわらを通り過ぎた。隠れていた沖縄の住民が、アメリカ軍の軍用犬に発見され、軍用犬は何も危害を加えずに戻っていき、しばらくしてアメリカ軍兵士を伴って再び戻ったと記録がある(読谷村「読谷村史 第5巻資料編4戦時記録下」2002年)。日本軍は、軍用犬を斥候犬と呼称した。
光も水も食料も不足した日本軍の地下要塞に対して,アメリカ軍は軍用犬を用いて洞窟の入口を突き止めて,火炎放射器で焼き尽くした。当初は太平洋戦争にて、日本人のみを選別して殺傷する目的で軍用犬の訓練が行われた。軍用犬は、アメリカ軍関係の施設の警備にあたり、夜間でも優れた嗅覚で不審者の日本人を発見して撃退する歩哨や警備の役割を果たした。視覚障害者の象徴の盲導犬も、軍用犬の訓練の中から生まれた。特殊部隊の軍用犬が、ウサマ・ビンラディンの追跡と奇襲に脚光を浴びた。
沖縄戦の地形は、すべてが防御する日本軍に有利であった。稜線と急斜面の地形は、戦場を一連の小規模で悪質な銃撃戦に変えて、植物が密集せず、日本軍はアメリカ軍を完全に監視できた。日本軍は、稜線の至る所の洞窟やコンクリート製の古墳から強烈で激しい日本軍の砲撃は、アメリカ軍の丘や尾根の側面に瞬時に炸裂した。
アメリカ軍兵士は5月1日夜には、日本軍の潜伏部隊に襲撃されて、激しい肉弾戦が勃発した。朝にはアメリカ軍の銃剣が日本軍兵士の胸に刺さり、内臓が摘出され、手榴弾の破片が飛び散り、ライフルや機関銃で穴が開いた日本軍兵士の死体が、戦場に散乱した。
5月5日夜には、日本軍がアメリカ軍の後方に上陸して反撃に出て、アメリカ軍は守勢に回わり、夜の浜辺で日本軍に激しい砲火を浴びせて迎え撃った。日本軍の徹夜の攻撃は、約800人以上の日本軍兵士の死者を出した。翌朝にアメリカ軍兵士と軍用犬は残りの約65人の日本軍兵士を追跡して殺害した。日本軍の水陸両用攻撃を撃退した後に、約6,000人以上の日本軍兵士を襲撃した。