ベトナム戦争にて、1966年4月にビンディン省のアンラオ谷周辺で、南ベトナム解放戦線の若いベトナム人女性が射殺されて、荒野にうつ伏せで死亡していた。アメリカ軍兵士が、ベトナム人女性ゲリラの死体に近づいて、彼女の両耳ごとにイヤリングをもぎ取った。アメリカ軍兵士は、左手にぶら下げたビニール袋に、イヤリングが着けたままの両耳を入れた。ベトナム人女性は、普段からほとんど全員が耳にイヤリング装着していた。
アメリカ軍兵士は、もぎ取ったイヤリングと乾燥させた耳を、記念品として持ち帰るつもりであった。さらにアメリカ軍は、ベトナムの山岳民族が、殺害した北ベトナム軍兵士の耳を持ち込むと報賞していた。殺虫剤で切り取った耳を防腐していた。耳の相場は、約30ドルと報道された。
散乱した南ベトナム解放戦線の死体は、死後の数時間以内に、ハエとありが集って腐敗し始めて、周囲に嫌悪な死臭が漂った。アメリカ軍兵士は、アンラオ谷の周辺のフンニョん部落に残存する農家を次々に放火して、徹底的に破壊した。見つけ出した穀物や食べ物も燃え尽くした。高価な家具や陶器などの家財は、猛烈に粉砕した。防空壕には、手榴弾を投げ込んで、土砂が吐き出た。焦土化した村々から、恐怖に怯えて女性や子供らの難民集団が悲嘆して黙々と歩いて避難した。