ソビエト連邦軍がブタペストに侵攻する直前に、ユダヤ人の妻と娘が撲殺された。その死体の側で、ユダヤ人の夫は路地に座り込み、悲しみに暮れて慟哭した。
連合軍がノルマンディーに上陸した1944年6月6日には、ソ連の赤軍がハンガリーの首都であるブタベストに約数100kmに迫った。その頃に後方の支援を受けて、ドイツ親衛隊の虐殺者たちは、わずか12週間でハンガリー・ユダヤ人約43万5,000人を強制連行した。列車を毎日操業して、1日あたり約14,000人にものぼるハンガリー・ユダヤ人が強制連行された。
1944年7月7日には強制連行されたハンガリー・ユダヤ人はすぐに虐殺された。それに報復するために、7月2日に連合国のアメリカ軍はブタペストに空爆した。それに逆ってナチス・ドイツ軍は7月14日にユダヤ人評議会を拘束して、さらに約1,500人も連行して輸送した。
強制連行されたハンガリー・ユダヤ人は途中の中継もなく、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所のガス室に直送され虐殺された。焼却場による膨大な死体処理は困難となり、ガス虐殺された死体を集積して、戸外の穴で焼却した。強制収容所の周囲は炭化した死体の悪臭で満ち溢れた。
1944年10月14日にハンガリーのファシストである矢十字党がクーデターを起こして、元首ホルティ・ミクローシュは失脚した。テロリズムは最後の瞬間まで続き、ソ連軍がブタペストまで約100Kmに迫った11月6日に、ハンガリー・ユダヤ人約40,000人は徒歩でオーストラリア国境まで連行された。その行軍の途中で数千人のユダヤ人が絶命した。