長崎爆弾の被爆者が、大村海軍病院に救護された。しかし明細は不明であるが、大村海軍病院において被爆者は8月末に死亡した。長崎原子爆弾が炸裂した爆心地からの距離も不詳である。多数のガラス破片が、上半身の皮膚に刺入した。その刺入傷の周囲に膿瘍を伴った潰瘍を生じた。その周囲には紫斑を伴っていた。
原子爆弾による紫斑病は、または皮膚の下の出血は、急性放射線病による原爆症の1つである。原爆投下後の数日から数週間、原子爆弾に被爆した被爆者は、発熱、吐き気、嘔吐、食欲不振、血性下痢、脱毛、紫斑または点状疱疹、喉や口の痛み(鼻咽頭潰瘍)、腐敗と潰瘍、歯の周りの歯茎(壊死性歯肉炎)などの合併症を伴った。これらの原爆症の発症時期はさまざまであるが、重度の被爆者がより早く原爆症を発症した。
急性放射線の主症状は、脱毛、紫斑及び下痢などがある。放射性物質による被曝の影響は、爆心地からの距離とともに増大して、約1.5kmで急性放射線症状の影響が最も出現した。爆心地から約6kmも遠位でも少なくとも残存した。最大の急性放射線症状には、ガンマ線(γ線)に影響された。原子爆弾の炸裂後の6週間後に測定された残留放射能は、広島では約6〜25レントゲン、長崎は30〜110レントゲンであった。
初期放射線は、原子爆弾の炸裂後の約1分以内にγ線と中性子線による瞬間的な外部被曝した。約1分後からは、放射性降下物と誘導放射化物質により被曝した。放射性降下物は、原爆の核分裂による火球から原子雲そして黒い雨と黒い煤などの放射性微粒子を被曝して、広範囲の原子雲により遠距離まで被曝した。誘導性放射化物質は、主に中性子により、爆心地周辺に集中して、直爆被爆者にも入市被爆者にも内部被曝した。