1968年秋に、アフリカのナイジェリア北部のビアフラ地域で、ハウサ族とイボ族の内戦が勃発した。ナイジェリア政府軍兵士が、倒れて戦死したイボ族のビアフラ軍兵士の側に立って見下した。1967年から1970年にかけて勃発したビアフラ戦争は、アフリカで初めて欧米のジャーナリストが大々的に報道した戦争であった。ナイジェリアにて対立する民族間の血なまぐさい殺戮や、腹の膨れた子供たちの映像は世界に衝撃を与えた。
ビアフラ戦争は1967年7月6日から1970年1月15日まで勃発して、ナイジェリア内戦として呼称された。ナイジェリアと1967年5月30日にナイジェリアからの独立を宣言した分離独立主義国家であるビアフラ共和国の間で戦われた内戦である。ビアフラはイグボ族の民族主義を代表した。ナイジェリア政府軍はビアフラを包囲し、膠着状態が続く中で、意図的封鎖が行われ、ビアフラの市民を大量に餓死させた。ナイジェリアには北部のハウサ族、西部のヨルバ族、東部のイボ族の三大民族が存在した。ナイジェリアは1912年に、イギリス軍によって植民地化された。1960年10月1日に、ナイジェリアの国境線と連邦制を持つ独立国として正式に宣言されたが、内部分裂が激しかった。
1969年12月24日に、ナイジェリア連邦軍が大規模な攻撃を開始し、ビアフラの最終的な崩壊が始まった。ビアフラは弾薬が不足し、民衆は食糧に困窮し、ビアフラ指導者は1967年の領土の6分の1のみ支配した。オジュクフは1970年1月11日にコートジボワールに逃亡し、ビアフラ代表団は4日後にラゴスで正式に降伏して、ビアフラ共和国は終焉を迎え、ナイジェリアに再統合された。ナイジェリア内戦で死亡した人の数は、50万人から300万人で、戦場での死、民族浄化、飢餓などである。ビアフラ戦争に参加したフランス人医師は、国際赤十字の沈黙の原則を破ってナイジェリア政府軍を批判した。1971年12月22日に、フランス人医師とジャーナリストの13人が国境なき医師団(MSF)を設立した。