サイパンでの戦いの戦況が悪化し、島の北部へ追いやられた日本軍兵士と住民は、1944年7月9日までに日本本土に一番近いサイパン島の最北端のマッピ岬のバンザイ・クリフ(Banzai Cliff)ら「天皇陛下万歳」と叫びながら海に自ら身を投じて集団自殺した。女性や子どもを含む民間人が投身自殺した。投身自殺で海は血液で真っ赤に染まり、死体が海に浮遊した。
アメリカ軍はサイパン島の上陸から住民を巻き込んでの激しい戦闘で多数の犠牲者を出し、バンザイクリフやスーサイドクリフの山崖などサイパン島の北部に住民は追い詰められて、崖から身を投じた。この戦いでサイパン島に生存していた日本人住民の約1万人が死亡した。サイパン島北端のマッピ岬に追い込まれた住民は、アメリカ軍の投降勧告に耳をかさず、約5,000人が断崖から約80下の海に身を投げた。サイパン島守備隊の約43,700人は大勢力のアメリカ軍に対し粗末な兵器で、圧倒されて7月7日に世に言う“バンザイ突撃”を最後に玉砕した。
1944年6月11日に続き、12日もアメリカ軍は延べ約480機におよぶ空襲して、13日からは艦砲射撃も行われた。サイパンの街はことごとく灰塵に帰した。6月15日は夜も明けぬうちからアメリカ軍の激しい艦砲射撃が始まり、チャランカノアの市街をはさんで北と南の海岸に、アメリカ軍が殺到して上陸した。1944年6月11日から4日間でアメリカ軍は砲弾・爆弾を3千5百トンも炸裂させた。これ以降、在留邦人の本格的な本土引き揚げは皆無で、サイパン島には約20,000人前後の日本人が残されて、日本軍とともに米軍の上陸を迎えた。7月6日の早朝に、追い込まれた約4,000人の日本軍兵士が「バンザイ!」と叫びながら、タナパグハーバー近くのアメリカ軍の野営地に対して、手榴弾、銃剣、剣、ナイフで突撃した。次々と突撃して、榴弾砲と機関銃で撃退された。太平洋戦争で最大のバンザイ攻撃となった。アメリカ軍は、約3,426人が戦死して、約10,364人が戦傷した。日本軍は、約24,000人が戦死して、約5,000人が自殺して、捕虜は約921人であった。民間日本人は、主に投身自殺により約22,000人が大量自殺した。