太平洋戦争の沖縄戦にて、アメリカ軍兵士らは1945年4月22日にハクソー・リッジ浦添高地の戦闘で戦死した仲間のアメリカ軍兵士の死体を、後方の部隊まで運んだ。浦添高地の急に高くなった丘陵や崖は戦車による侵攻が困難であった。自ずとアメリカ軍兵士自らが攻め寄せる攻撃に至った。一方の防衛する日本軍は、高所から攻め寄せるアメリカ軍に攻撃を加え、崖を乗り越えたアメリカ軍兵士を狙撃、砲撃する激しい戦闘を展開した。立ちはだかるハクソー・リッジでは、猛烈な砲弾の砲撃により、多くの人命が損失する激しい戦闘となった。
浦添高地は、浦添城跡の一帯の丘陵であり、那覇市の北側に隣接する浦添市で最も高い場所で標高は約148mある。前田集落の北側に位置して前田高地と呼称された。鋭く切り立った姿から、アメリカ軍は前田高地一帯をハクソー・リッジ(Hacksaw Ridge)と呼称した。南東側に地元で為朝岩(ワカリジー, 分かれ岩)と呼称する高さ約13mの岩があった。アメリカ軍はピアスの穴開け器具に形容してニードル・ロック(Needle Rock)と呼称した。日本軍は稜線を死守するため、洞窟や壕に身を隠し、アメリカ軍の小隊が数人しか生き残らないまで壊滅させた。浦添高地の戦闘の多くは白兵戦で、特に冷酷で残酷であった。
アメリカ軍は1945年4月1日に、沖縄本島の読谷・嘉手納・北谷に上陸した。宜野湾の嘉数高地などで戦闘が繰り広げられた。第一線から後退した日本軍の部隊が仲間・前田へ配備された。アメリカ軍は4月25日に、前田高地への攻撃を開始した。アメリカ軍は、まず高地頂上を奪おうと試みた。頂上に立った所で日本軍の攻撃を受てけ、数分で約18名が犠牲となった。そこから日本軍と高地頂上の争奪戦が繰り広げらた。アメリカ軍は日本軍との戦闘で多くの死傷者を出した。
一方の日本軍は洞窟に陣地を築いて、白兵戦や夜間攻撃などを行った。アメリカ軍の猛攻で多大な損害が出た。頂上付近を占拠したアメリカ軍は、日本軍の洞窟の入口を破壊して閉じ込め、追い詰めた。5月6日に浦添高地は、アメリカ軍に完全に制圧され、凄惨な浦添高地の戦いから日本軍は撤退した。
2016年の映画『ハクソー・リッジ』は、第89回アカデミー賞の作品賞候補となった。デズモンド・T・ドス(Desmond Doss)は、陸軍衛生兵で良心的兵役拒否者として、史上初の名誉勲章をハリー・トルーマン大統領より1945年10月12日に受章した。たった一人でハクソー・リッジの戦場に赴き、負傷した75人のアメリカ軍兵士を救出した。