イラク戦争では、アメリカ軍兵士だけでなく、民間軍事会社に雇われた多くの傭兵が参戦した。アメリカ軍兵士が虐殺されている危険な地帯や戦場には、お金で雇った兵士である傭兵が参戦した。戦争で外国人の傭兵が虐殺されても、外国人として都合よく処理された。医薬品が落ちた荒野から、大きな黒いビニールが掘り出された。アメリカ軍が使用する遺体収容袋から、大量の腐敗して白骨化した死体が排出された。参戦した外国人の傭兵と思われる死体が砂漠に埋め捨られた。ヘリコプターからも死体を投下して捨られた。
アメリカ軍は、ベトナム戦争後には徴兵制度が廃止された。職業軍人である士官以外の一般兵士は志願兵である。湾岸戦争からイラン・アフガニスタン戦争では、多くのアメリカ人の若者が奨学金を得て大学進学するために志願した。アメリカの志願兵制度下では、最も格差社会の下層階級出身の若者が奨学金目的で兵役を志願するという傾向がより顕著になった。ただし、非常事態には選抜徴兵できる義務兵役サービス(Selective Service System)に、アメリカ人男子は原則として18歳になった時点で登録する義務がある。
1960年に徴兵制が廃止されたイギリス軍だけでくアメリカ軍にも、貧困から脱国するためにネパールから過酷で厳格な山岳民族から構成されたグルカ(Gurka)兵も傭兵として参戦した。その他に、貧困を脱国するために、そのほかに、南アフリカ、ウクライナ、フィージーなどから多数の傭兵が参戦した。徴兵制もなく軍隊も保持していない国家は、世界でアイスランド・コスタリカ・日本のみである。