1863年7月2日に、3,100人以上の南軍が、デビルズデン周辺の2,400人の北軍に激突して、ゲティスバーグ2日目に最初の戦闘が始まった。5,000人以上の兵士が、ゲティスバーグのデビルズ・デンである悪魔の巣で血みどろの戦いを繰り広げた。デビルズ・デンは、岩だらけの丘で、ゲティスバーグ戦闘2日目に砲兵と歩兵の戦闘が激しい殺戮の舞台となった。デビルズ・デンでは南軍1,800人以上、北軍800人以上が死亡した。南軍が一時的に占領した、まさに血塗られた一日だった。北軍は138人が死亡して、548人が負傷した。南軍は、329人が死亡して、1107人が負傷した。死体はいたるところに横たわった。
1863年11月11日にピーター・S・ウィーバーによって、デビルズ・デンから北東のリトル・ラウンド・トップ方面から撮影された。南北戦争におけるゲティスバーグの戦場で死んだ9人の北軍兵士の死体と、それを見守るライフォード医師(左)とチェンバレン医師(右)が撮影された。デビルズ・デンとリトル・ラウンド・トップの両方を描いた最も古い写真として知られており、ゲティスバーグの戦場の写真となっている。
写真は戦争の人的犠牲を示すものである。見るのは難しいが、これらの写真は、戦争が多くの命を奪い、イラストでは捉えられないほど血なまぐさく陰惨なものであったことを印章づける。デビルズ・デンの写真には、北軍兵士が地面に横たわって死んだ演出をされた写真もある。本物の死体を写したり、劇的な効果を狙って移動させ、戦闘後の戦場をほぼそのまま撮影したものもある。