朝鮮戦争にて1950年9月18日に、仁川(Incheon)攻略した後に、ソウルまでに至る途上の金浦路で、多数の北朝鮮軍兵士が殺害された。その死体を、アメリカ軍将校や兵士に囲まれながら、国連軍最高司令官マッカーサー元帥は、自慢気に北朝鮮軍兵士の死体群を見下していた。1950年9月17日の夜明けに、北朝鮮の縦隊が金浦路に沿って、仁川とソウルの間で海兵隊を攻撃した。海兵連隊が待ち伏せし、北朝鮮軍が射程内に入ると、海兵隊は道路沿いの丘から北朝鮮軍を攻撃した。戦車隊が北朝鮮軍に徹甲弾を打ち込んで、約6台の北朝鮮軍の戦車は炎上して、地面には約200人の殺害されて死んだ北朝鮮軍兵士の死体で覆われた。
1950年9月15日に、第X(10)軍団の兵士、水兵、海兵隊が、仁川に上陸した。上陸した最初の軍隊は、ほとんど抵抗なく内陸に急速に移動した。北朝鮮軍は上陸の準備がなく、過去の水陸両用作戦よりも少ない死傷者で達成した。月尾島と小月尾島の占領で、上陸部隊は約108人の北朝鮮軍兵士を殺害し、約136人を捕獲した。いくつかの洞窟で約100人を洞窟に生き埋めにした。海兵隊の軽傷約17人のみであった。9月18日に、アメリカ軍は金浦飛行場を占領した。仁川の陥落後には、アメリカ軍は、約40km離れた旧韓国の首都ソウルに焦点を合わせた。漢江の障壁と約20,000人を超える北朝鮮軍が都市を占領していた。1950年9月22日までに、第10軍団がソウルの西端に到達して。激しい市街戦が続いた。1950年9月29日にソウルはアメリカ軍によって陥落した。簡単な式典で、韓国の李承晩大統領にソウルの支配権が与えられた。
1950年6月25日に、北朝鮮の朝鮮人民軍(KPA)は突如38度線を越えて強引な攻撃後に、朝鮮半島を執拗に南下した。韓国軍(ROKA)とアメリカ軍は、準備不良で戦力不足の部隊が追い込まれた。朝鮮人民軍のほぼ全員が釜山攻撃に関与していた。朝鮮人民軍の背後に上陸した仁川の戦いで、アメリカ軍は約224人が戦死して、約809人が戦傷した。朝鮮人民軍は約1350人が戦死して、約70,000人が捕虜となった。