チベットの首都ラサで、1987年10月1日にチベット人のデモ隊に、中国の武装警察が襲撃した。チベット人のクンセルさんが、デモ中に射殺された。頭部から出血した死体が並べられ、デモ隊に見守られた。中国の国慶節の10月1日に、ラサで大規模なデモが発生した。セラ僧院の僧侶がチベット国旗を掲げて、もう一度チベットの独立を呼びかけた。デモ隊は次第に暴力的になり、デモ隊は車をひっくり返した。車や警察署に火をつけて、警察隊に投石した。中国の警察は、少なくとも約6人のチベット人を殺害した。
10月1日の中国国慶節には、セラ僧院の約3人の僧侶を含めた約23人のチベット人が、禁止されているチベット国旗を持って、チベット独立のスローガンを叫びながら、ジョカン寺を囲むバルコル通りを行進した。約50人の一般のチベット人も加わった。デモ隊が約4周目に入ったところで、中国の警官がデモ隊を殴り始めて、僧侶全員と約30人の一般参加者が逮捕された。ジョカン南西の角にある警察署に強制連行された。その後に、約2,000人のチベット人が、彼らを解放しようと警察署に押し寄せて、中国の警察が発砲して、少なくとも約7人が死亡し、多くが逮捕された。
中国共産党は、1949年に国共内戦に勝利して、社会主義国家中華人民共和国を10月1日に建国宣言をした。チベットは中国の一部分として、チベット全土の解放を目指して1950年に中国人民解放軍による軍事侵攻を発動した。チベットを軍事制圧して、17ヶ条協定により、チベットの主権を奪った。チベット人のデモはすべて、長年の中国共産党政権の支配下で、チベット人の差別と虐待を示唆した。中国共産党の指導部は、チベット人の不満を、反乱として残酷に弾圧した。多くのチベット人が逮捕され、拷問を受けた。中国はチベットの繁栄と発展を主張するも、チベット人には、長い年月の占領と残虐行為であった。チベットへの不当な侵略と不法占拠以来、全土のチベット人は中国共産党政府に抵抗した。残忍な弾圧、殺害、逮捕、拷問、拘留死、略式処刑にもかかわらず、チベット人は中国共産党の抑圧的な政策に抗議して何度も立ち上がった。