第一次世界大戦の東部戦線において、ドイツ軍兵士に心臓を撃ち抜かれてロシア軍兵士が射殺された。その死後硬直によって、ロシア軍兵士は、ライフル銃の側で、戦闘中も同じ姿勢を保持していた。そめために、ドイツ軍兵士から、銃弾の弾丸が何度もロシア軍兵士の死体に打ち込まれていた。
エルンスト・フリードリッヒ(Ernst Friedrich)は、第一次世界大戦後の1923年にベルリンに反戦博物館を設立して、平和教育の場を創設した。『戦争に反対する戦争(Krieg dem Kriege)』は、反戦博物館での平和教育の成果として1924年に刊行して、戦争の恐ろしさを写真で表現した。本書の初版の直後に、ベルリン市警察は、自由青年出版に対して、写真の撤去命令を下した。1933年2月28日にナチスに逮捕されて、反戦博物館はナチスによって破壊された。1982年5月2日、反戦博物館はベルリンに再建された。本書は、一部は偶然にそして一部は意図的に撮影した写真による戦争の本であり、また、戦争の始まりから終わりまでを事実に即し実刑を忠実に映し出した記録である。
本書にて、13才の子供が描いた絵画に対して次のような説明を加えた。「人殺しと軍人の違いは次の点にある。すなわち人殺しは、略奪、欲望、あるいはその他の目的のために人を殺す。その行為は、(聖書にある)第5の戒律に反したものであり、したがって、人殺しは死、あるいは投獄の罪を受ける。軍人もまた、人を殺す者ー職業的殺し屋であり、実際は大量殺人を引き起こす人殺し中の人殺しーである。その行為は、第5の戒律に反しているにも拘らず、軍人は人を殺すことを許されている。殺した人間の数が多ければ多いほど、より大きな栄誉を与えられ、その殺人勲章を称えるべく、頭に月桂樹を冠せられ、より髙い階級が授けられる。軍人は、たとえドイツ軍のそれであろうが敵軍のそれであろうと、世に類なき残忍なる生き物である。軍人に人を殺すことを教えたる者、軍人に殺人をさせしめる者に呪いあれ! 両者共に人殺しである。なぜなら、戦争は殺人行為であるからである。戦争はまた、その過程において、飢え、不名誉、悲惨、苦悩、死、不安そして苦痛を生む。戦争を止めよ, 平和に戻れ。」