8/06/2021

Surveyors measure residual radiation in October 1945 in the ruins of Shima Hospital, located at the hypocenter of the atomic bombing of Hiroshima, as Japan Film Corporation staff film them in Saiku-machi district.

 広島原子爆弾の爆心地である島病院の南側で、学術調査団が1945年10月1日より残留放射能を測定した。理研が、同一地点を約3回にわたり、ローリッツェン検電器により、土地の放射能の強度を測定した。測定の結果は、広島の土地の残留放射能が、すでに人体に害を及ぼすほどのものはないと報告された。しかし、学術調査団は10月1日から爆心地付近で放射線を測定したため、9月17日の強烈な枕崎台風によって表土が流されたためか、測定値は以外に低かった。(枕崎台風による死者・行方不明は全国で約3,800人、広島県では約2.000人)残留放射能が流出して、「広島では70年間何も育たない」という説を覆す結果を報告した。

 しかし、原爆投下後の広島で活動していた京都大学医学部の研究グループが、大野陸軍病院に滞在していた。9月17日夜、中国・四国地方を襲った枕崎台風による土砂崩れで、病院は壊滅状態となった。この台風により、広島県では被爆者を含む1,199人が亡くなり、897人が行方不明となり、1,297棟の家屋が流され、さらに2,101棟の家屋が倒壊しました。

 9月19日に、撮影スタッフの生物班が東京から広島へ向けて出発した。続いて物理班が東京を発ち、最後に土木建築班と医学班の撮影スタッフが広島へ入った。現地では、食糧などの物資が不足するなど、苦労が伴ともなった。しかし、各班の撮影スタッフは焼け跡やけあとを丹念に歩き、学術調査団の活動を追いながら広島の被害をカメラに収おさめて、広島での撮影は、約1ヵ月間に及んだ。

 原子爆弾のドキュメンタリーを作りたいと思っていた科学調査チームとカメラマンの調査記録員が、9月27日に広島に入り、29日から作業を開始していた。日本フィルム株式会社のスタッフが調査記録を撮影した。しかし、この時に撮られた写真と映像は、アメリカ軍の占領当局(GHQ)によって没収された。幻の映画と写真として、日本に公開されるのは約28年後となった。