1/10/2025

In El Salvador, in 1990, a clearly murderous unit from the Salvadoran government army shot two young men in the head, executing them extrajudicially, and their bodies fell onto the street.

エルサルバドルにて、1990年にエルサルバドル政府軍部隊からの明らかな殺人部隊は、二人の青年を、超法規的処刑した。二人の青年は、頭部を撃ち抜かれて、失血して死体が路上に倒れた。

  超法規的処刑は、裁判手続きに付されず実行された権力による殺人である。法の手続きに従っても、本来は国家には人の生命を奪う権利はない。死刑は非人道的であり、許されない刑罰とする国々があり、法の手続きに従った殺人をする死刑に反対した。法の手続きに従わない政治的な動機による殺人にも反対する。超法規的処刑には、対象が「囚人」とは限らない。デモに向けた発砲は、権力による殺人である。

 戦争中の戦闘目的を達成する過程での予期せぬ殺害や空襲で市民がまき込まれて死亡する。個人を殺害する明確な意図による行為は、大規模な戦争を想定しない。実際の戦場で、特定の個人を殺害する意思を立証するのは困難である。非戦闘員の殺害も「超法規的処刑」にあたり、無差別爆撃では非戦闘員も死亡した。。軍政下の多くが、現場の指揮官は法律によらず処刑する権限を、法令によって与えらた。「超法規的処刑」とは、裁判等の司法手続きを無視した政治的動機による殺害である。

 サルバドル内戦は、エルサルバドルにて1979年10月から1992年1月まで12年間の内戦である。アメリカの支援を受けたエルサルバドル政府と、ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)との間で争われた。FMLNは、フィデル・カストロのキューバ政権とソビエト連邦に支援された左翼ゲリラ・グループの連合である。1979年10月15日のクーデターに続き、エルサルバドル政府による反クーデターデモ参加者の殺害が内戦の起点となった。戦争が正式に終結したのはソ連崩壊の後である。1992年1月16日、チャプルテペック和平協定がメキシコシティで調印された。国連(UN)は、内戦によって1979年から1992年の間に7万5千人以上が死亡し、約8千人が行方不明になったと報告した。人権侵害、特に国家治安部隊と準軍事組織決死隊によるFMLNのシンパ容疑者の誘拐、拷問、殺害は蔓延した。