日本軍は、激しい朝鮮独立抗争が勃発した花樹里にて、1919年4月4日未明に大量虐殺を執行した。あばら屋の前に立っている朝鮮人の婦人には3人の子供がいたが、そのうちの1人が日本軍兵士によって虐殺された。虐殺された子供の死体の上に一枚の布がかけられた。その他の2人の兄弟はとうとう自分の兄弟が虐殺された死体の前で泣き叫んだ。さらに虐殺された父にも悲嘆した。1919年3月1日の三・一事件による独立を目指す万歳運動が朝鮮半島に拡散した。驚嘆した朝鮮総督府と日本政府内閣は、朝鮮内兵力を大々的に増派した。警務機関は査察及び検挙に極力活動して禍根を消滅せよと指示された。
激しい三・一独立運動により4月3日に約2,000朝鮮人群衆は、花樹里駐在所の日本人巡査を撲殺した。その見返りの報復に、日本軍は4月13日に、花と木の町であった京畿道の華城市花樹里を焼却して灰に変貌させた。教会の首謀者として、朝鮮人約23人とうち女性1名を虐殺した堤岩里教会事件が勃発した。約40世帯のうち、半分が全焼した。日本軍の憲兵隊は、朝鮮人が眠っている明け方に乗じて、火を付けた松明を持って家屋に火をつけた。睡眠からぼけたまま飛び出してきた朝鮮人住民に対して棍棒と銃刀で虐待と虐殺した。死ねなかった朝鮮人住民は、刑務所に連行された。日本軍が襲った地域ごとに古里が一瞬に消えた。日本軍が襲った廃墟に残ったのは、恐怖に襲われた婦女子たちだけだった。朝鮮全土にわたって、その殺戮が深刻化した。