パルク海峡で漁業に従事中だったタミル人漁師たちがスリランカ海軍によって虐殺された遺体が散乱した。これらはスリランカ治安部隊もしくはタミル人抵抗勢力によって行われた100件以上の虐殺の犠牲者である。タミル人はスリランカ人口の12.7%を占めて、タミル統一解放戦線(TULF)から、主要ゲリラ組織であるLTTE(タミル・イーラム解放の虎)が台頭した。
インドのタミルナドゥ州とスリランカ北部州マンナール県との間にあるパルク海峡では、スリランカ内戦(1983年~2009年)を通じて、2025年まで継続して、タミル人漁師を巻き込んだ虐殺や暴力事件が頻発する現場となった。スリランカ内戦中に、スリランカ治安部隊によるタミル人民間人への虐殺は100件以上に及んだ。2009年のムリヴァイカル虐殺までタミル民間人の死者数は、4万人から10万人以上と推定された。
パルク海峡の大虐殺には、マンダイティヴ海虐殺事件(1986年6月10日)で、スリランカ海軍兵士がマンダイティヴ沖で33人のタミル人漁師を襲撃して、犠牲者の多くは拷問を受け、眼球を抉り取られたり腹部を切り裂かれ、32人が死亡し、生存者は1人のみであった。クムディニ号虐殺事件(1985年5月15日)では、フェリークムディニ号に乗船していたスリランカ・タミル人少なくとも23人が、デルフト島とナイナティヴ島間の航行中にスリランカ海軍兵士によって斬殺された。ジャフナ・ラグーン/キラリ虐殺事件(1993年1月2日)では、スリランカ海軍による攻撃で、35人から100人のタミル人民間人が殺害された。ムラティヴ漁民虐殺事件(1984年12月9日)では、スリランカ内務省警備隊により18名のタミル人漁民が殺害された。
