文学作家である小林多喜二は、1933年2月2日に東京の赤坂の街頭で警察庁スパイからの通報により特別高等警察に逮捕された。直ちに、東京築地警察署に勾留された。官憲による拷問と虐待によって29歳の若さで虐殺された。同日には、獄中の囚人らは小林多喜二の虐殺を察知した。拘置所にて裸にした全身が強打されて、遺体には特に両方の大腿部には青黒い大量内出血が認められ、両足には刺し傷があった。通夜や告別式に参列した市民らも検挙された。
小林多喜二は、1928年頃からプロレタリア文学作家として代表作『蟹工船』で、家畜のように弾圧される船員の実態から、国家権力の本質を暴露した。1928年3月28日に日本全国で数千人の反戦主義者を弾圧するために逮捕された。「一九二八年三月十五日」を執筆した。1930年8月には治安維持法による不敬罪で逮捕されて勾留された。1932年3月頃から文化団体は特別高等警察から狙われて思想犯として大弾圧を受けた。逃避して、潜伏して非合法な活動と執筆を継続していた。拷問から虐殺されてからも、太平洋戦争中も、市民が小林多喜二の作品を所持しただけで検挙された。